見出し画像

鳥頭に金木犀の香り

心許ない

「金木犀の香りがするー」
幾度となくこの言葉を耳にして、その度に自分の記憶を掌る機能には何か欠陥があるのではないかと心許なくなる。

丁度この季節、忌々しい寒さが私の身体を襲い始める時分にその香りは街中に散らばる。

金木犀

江戸時代に中国から齎された常緑樹の挿し木は、今や本州の北端から九州の南端まで分布するポピュラーな植物となった。自然に植生は無いということを知って、ロマンチックな気配が少々削がれてしまう。人為的な香りと思ってしまうと、多くの香水が持ついやらしさを纏っているようにも感じる。

ただ、街ゆく人々はこの木の醸し出す香りを好む。夏の終わり(私は悲しい)、秋の訪れ(私はとても悲しい)といった想起に満たされて、寛いだ気持ちを他者と、或いは街と共有する。

香りの記憶

快い香りは好きだ。日向に寝そべる猫の腹、古着屋で買ったばかりの服、封切りしたハイライト。今論った一つ一つに、言葉と共に鼻腔にその香りが満たされるような錯覚を覚える。
しかしどうしてだろう、金木犀の香りは言葉と香りがいつまで経っても結びつかない。冒頭に話は戻り、誰かが発した「金木犀の香りがする」という言葉で以って、まるで初めてのように「これが金木犀の香りなのかあ」と認識が結ばれる。

つまりは、金木犀の香りに関して鳥頭なのだ。調子良い夜道で友人が「これが金木犀の香りだ」と教えてくれるが、そのどれもが徒労に終わる。
どうして「何度も覚える」のか。其れは私の脳が金木犀という言葉とその香りを結びつけさせまいと恣意を発揮しているのか。だとしたら何故なのか。

そういえば、この香りはどうしようもない程寂しさを感じさせる。離別か或いは孤独か。いつの日かそんな記憶と結びついて離れなくなって、結びつきごと私の奥底に仕舞い込んだのかもしれない。都合のいい仕組みだ。

これからも幾度となく「金木犀の香りがする」と、そう人に教えてもらいたい。出来れば調子の良い日に。覚えられるか分からないが、覚えられなくてもいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?