【note152枚目】ニッポンのおじさん/鈴木涼美

 おじさんのフリみてわがフリ直せ。
 様々な有名なおじさんの観察、分析を実体験と絡めて解説している、ポケモン図鑑ならぬ「おじさん図鑑」を読んでいる気分になる。日本のおじさん図鑑と海外のおじさん図鑑、国によっても傾向が変わるんだろうな…などと妄想した。

 日本の30歳半ばのおばさんである私も、ここに書いてあるおじさんたちの行動や言動、それの根っこになる考え方に一瞬ギクっとすることもあった。女性同士の心の動き方、嫉妬や不意のマウンティング。ここでマウントをキメてボッコボコにしてやろう!!ってタイミングではないのに思い返すと「あれはすごく嫌味なことを言っていたのでは」「あれがマウント…ってこと…?」と、読みながらはた、はた…と思い出していた。おじさんで観測されることはおばさんにも起こりうる。
 「若くない、中年あるいはそれ以上の年齢層の人間」を意味する言葉である「おじさん」と「おばさん」その間には言葉以上の性差が存在しているというのにもなるほど確かにと思った。
 パパ活などの金銭ありきの関係で年上の異性を指すときに「おぢ」や「おじさん」と使われているけど、もっと前には「あしながおじさん」なんて童話もあるし、おじさんという言葉自体は実はそれほどネガティブな意味だけではないのかもしれない。行動や言動を観察してそれがマイナスに触れた時に、「負のおじさん」となりおじさん図鑑に収録されるのかも。じゃあ「正のおじさん」って何だろう。

https://youtu.be/IPkaU9ulezw?si=iMx-WP5cNMHhhVsK

 本書が発売された頃に古館伊知郎CHに出演されていた回が面白かった。
 動画中、古館さんが「白か黒か。それで決めて進める方がわかりやすいから決めたがる」といった趣旨のことを話されていた。脳で理知的なことを考えて話しているのに、目から入る情報をもとに脳は下半身も反応させる。どっちなのかわからないと。
 それに対して鈴木さんが、こうして話すときと報道ステーションの時の古館さんも結構違っていて、後者を指して「コスプレ感が強め」と表現されていたのが印象的だった。
 以前『娼婦の本棚』を読んだ時とその刊行イベントに足を運んだ時の感想を見ても、私自身、鈴木涼美さんを「二面性」と捉えて面白がってしまっているところも拭いきれていないように思う。行儀が悪い。
 それと同時に、そんな両極に位置するようなことをやり遂げている能力の高さに憧れて、嫉妬しているようにも思う。そんな感情を抱いたところで何にもならないのだけれど、自分がなしえない、なせていない事柄をやり遂げ、実行している人はすごいと思うし、同時にその能力に嫉妬してしまう。
 二面性で区別をつけたがる、能力を支える努力や工夫も見ずに感情を抱く。ものすごく負のおじさん的な思考だなと自省した。
 

 女性がおじさんにまつわる事柄を書くにあたって#Metoo運動について触れられている箇所が多かったように感じた。でも、女性である私はこの運動について何たるか正直きちんと理解していなくて、感想に加えるのは良くないかもしれない。どのような運動で何が起こったのか、しっかり理解したい。

 現在進行している「共同親権」はおじさん的思考が先行・加速してまとめられていってる最中にあるのかなとも、2024年に読んで考えた。「親権」を「既得権益」に置き換えるとなんとなく離婚しづらくしたいという道理も立ちそうな気がして。ここ最近のTwitterではデモ的な署名運動が活発になっていて、また保守層じゃない人たちが騒ぐ材料にしているのかと感じていたけれど、たぶんそんなことじゃない。触れるメディアに偏りがあって感情で思考を放棄してしまっていること、深く反省した。

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