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REAL PORTRAIT TOKYO III

HASEO主催のポートレート公募展。
これまでは「HASEO主催の流派展」と言う認識だったが、様相が変わって来た。

出展に当たっての縛りは「人が写っている事」のみ。
以前はHASEOの作風に感化された人が多かったように思うが、良くも悪くも「それ以外」が増えていた。

目を惹いたもの

Koji Hirose
砂丘で撮ったポートレートの連作。
大体に於いて矢鱈滅鱈風が強いが、吹かない時はサッパリ。
その不確定要素しか無い場所で、モデルに長い紗の布を持たせる。 翻り方も風任せ。
分の悪いサイコロ博奕で欲しい出目を引き寄せるところまで含めての旦那芸の極北。

PASHA STYLE認定作品展と運営が被っている事もあってか、展示傾向も似通っており、自分に与えられた展示スペースを自分「だけ」の色に染めようとする出展者が多い。
しかし、奇を衒ったものの多くは失敗。

人生とは、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない。

A.Schopenhauer 「自殺について」より

人生の縮図が並んでいた。

厄介なのは、出展した側は鼻高々で、自分の展示の「写真以外の部分」が如何に拙いかについて全く理解できていないこと。

この会場の展示スペースの壁の何が気に食わないのか、自分に与えられたスペースの背景に布を張っている者は、押し並べて貼り方が汚い。
水平垂直に無頓着、端をかがっていないのでほつれ放題、アイロンを掛けていないので皺くちゃ。

意図してそうしているようにも見えないので、無知蒙昧なだけなのであろう。

天井が(照明の位置が)高いので、普通に展示する分には見難くなることは無いのだけれど、「バカと煙」式に高いところまで使ってしまうと、天井の照明をもろに拾ってしまう。
素人は兎も角、招待作家のコバヤシモトユキもその中に入っていたのには呆れた。
(過去には山岸伸もそうだった)

この展示場の壁は横縞なのだけれど、厄介なことに必ずしも水平ではない。
今年も水準器を使わずに設置して罠に落ちている出展者が其処此処に。

どう見せたいかにばかり拘泥して、どう見えているか引いて見ることが出来ていない。

自作解説で他者のスペースを浸食する事に躊躇しない異常者の図

盛装をして客待ち。 或る程度人が集まると自作解説を始める出展者。
少なくとも、周辺の出展者3人分のスペースを浸食。
バカもここ迄来ると凄い。 見事な面の皮。

そこ迄は行かぬにしても、場内の至る所で滞留が発生。
懇親会としてはこれで良いのだろう。
写真を見せる気が無いのであれば。

HASEOは併催した個展で写真作家としての矜持と生きざまを見せることに傾注しており、REAL PORTRAITの方まで目配りも出来なかったのであろうけれど、補佐して場をコントロールする者がいないので、秩序もヘッタクレも無い混沌の巷であった。

(2024.04.14 記)

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