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SHIPについて

戊辰戦争の負け遺伝子の集積の家系に生まれた私は、受験戦争にも散々に負け続け、インチキ入試で唯一引っ掛かったヘッポコ大学に通う為に江戸を売って地方都市に移り住んで四年間を過ごした。

その地方都市は東京というものに対する愛憎入り交じった感情があり、標準語(こっちはそんな御大層なもの喋っちゃいない訳だが彼らにはそう聞こえる)を聞いただけで身構え警戒されること屡々。

それに較べると似たような規模の地方都市乍ら、SHIPの送り手であった酒田の中心商店街の人々の東京に対しての感情は比較的平坦であった。

彼らは東京を含めた都会で人生の一時期を過ごした事が有ったり、商売上恒常的に行き来していたり、行き来せぬ迄もバイヤーや営業担当者と付き合いが有ったり、テレビで知る以外の都会を知っているから虚像や幻想に惑わされない。

「酒田から全国に発信」の"全国"の一部としての東京。

他所者をいきなり拒絶したり警戒したりせず、過度に歓待もしない代わりに、何と言うか「人品」を見定めた上で付き合ってくれる(だから山師に騙されることもない)。

斯界でよく見られる虚業に身を窶すような手合いが送り手の中におらず、正業で地に足を着けて暮らしている人が手分けしてやっていたから、客を踏みつけにするようなことはまずやらなかったし、幕藩体制から少し離れて一定の自治を保つことの出来た酒田と言う街の商人の気概はまだ生きていたから、行政からの紐付きの金にも頼らない。

商店街の仕掛けるアイドルと言っても、商店街の総意で始まった訳ではもちろんなく、反対する人々も当然居たし、動く人も使える資金も限られていたけれど、賛意を示した人々は出来る範囲で先ず動き、出来ることをする。

伊藤野枝が「無政府の事実」の中で書いているところの "中央政府の監督の下にある『行政』とはまるで別物で、まだ『行政機関』と云う六ケしいもののない昔、必要に迫られて起った相互扶助の組織が今日まで、所謂表向きの『行政』とは別々に存続して来たもの" が、其処には在った。

だから一定の成功を残せたとも言えるし、地元住民に商店街以外のそうした気概を持たない人々の方が多かったから、大成功にまでは到らなかったとも言える。

矢張り庄内から出た事の無い(そしてこの先も出ないであろう)人々は当然居て、他所者を色眼鏡で見たり無駄に対抗心を燃やしたりされることもあり、送り手に対して感じることはついぞ無かったが、イベントのスタッフや客には何度がっかりさせられたか判らない。

地方発のアイドルは、都会のアイドルと較べて活動を継続する為に跳び越えなければならないハードルが多くそして高い。

アイドル業を職業として捉えてくれる学校と言うのはなかなか無い。 農作業ならともかく、芸能の仕事で学校を休む生徒が居ることも想定されていない。

よって活動は放課後か週末に限られるし、アイドル如きにうつつを抜かして成績が極端に下がることも許容されない(そもそも本人たちがそれを望まなかった)。

高校生であるうちはまだ良い。 地元に大学や専門学校が無かったり、有っても学びたい学部がなかったりすることもある。

そうなると進学する為に街を出て行かざるを得ず、活動は続けられない。 就職をしても亦然り。

昔よく撮らせて貰っていた馴染みの娘が「二十歳を過ぎると、それまで許されていた事が段々許されなくなって来る」と溢していたが、濃密な地縁社会の中ではさらに強く監視され干渉もされる。

アイドルだけでなく、なんだかよく分からない職業の人を許容し養える地力がその町にあるかどうか。

その違いが新潟と酒田にはあり、Negicco は続いたがSHIPはメンバーの高校卒業と共に終了してしまった。

送り手側にも継続する意志はあったし、事実新メンバー募集までは行われたのだけれど、アイドルと言うものが肯定的に捉えられる時代の到来にはまだ数年。

SHIPは独立系マイナーレーベルから派生ユニットも含めて数枚のシングルを出しただけで尻すぼみに消滅してしまたからお世辞にも売れたとは言い難いけれど、メンバーが(少なくとも在籍中は)都会の悪い大人に騙されて不幸になるような事は無かった。

その「無理をしてまでは売らない」送り手に不満を持っていたメンバーも居たと聞くが、拉致事件や引き抜き騒動などが起こらなかっただけでも消極的乍ら幸せだったのではないかと、私は考えている。

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