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写真展「令和元年 東京」

神保町画廊から檜画廊へ。

攻めた展示が多く、秘密倶楽部的な(入りにくい程ではない)神保町画廊と較べると、すずらん通りに面した檜画廊は、飾り窓と素通しの扉で「何を展示しているか」が分かり、明るく開放的。

中藤毅彦の主催するGallery Niepce の同人6人と、ゲスト5人の、「今年に入ってから撮った」写真縛りの写真展。

進藤万里子の、絵の具をこってり塗ったような、自棄糞に彩度を上げた写真が面白い。
透過光のRGBではなく、最初からCMYKで撮ったような写真。

鼻崎裕介のカラーは落ち着いた色合いだが、被写体の表情や雰囲気が明るい。
心が穏やかになる写真。

飯田鉄は新宿伊勢丹本館(大正15年)に掛かる令和の垂れ幕と、新宿御苑の御涼亭(昭和2年)。
ひときわ静かな二枚、

石川栄二の、古いカメラで古く撮って古く焼いたもの。
時代が付きすぎて、逆に何時撮ったのかが希薄になる。

ごく短期間に、同じ街を撮っているのに、撮り手によって個性が出る。
人との向き合い方、街との関わり方。
寄るのでも引くのでも、撮り手それぞれの間合いがある。

東京という街そのものが多面的・鵺的であり、路地一本入っただけで、角一つ曲がっただけで、人との関わり方・向き合い方、見せる貌は異なる。

生まれ育って住んでいる人の街、辿り着いて暮らしている人の街、通り過ぎる街。
生まれ育った人、辿り着いた人、通り過ぎる人。

様々な関わりの中で撮られた「今年の東京」。
写真展の規模以上の多様性が濃密に渦巻いていた。

(2019.07.15 記)

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