立川キウイの会2019(2/9)

大雪の可能性ありと天気予報に脅かされつつ上野広小路。 断続的に降りはするが積もらず。

「紙入れ」キウイ
「鮑のし」志らぴー
「短命」キウイ
<中入り>
「長屋の花見」志ら松
「品川心中」キウイ

前座時代から来ているお客さんと、最近のお客さんととり混ぜて和やかな客席。
難しいことを考えずに楽しい時間を過ごすために来ている。
寄席演芸というものは、本来こう言うものではないかと思う。

立川キウイと言う噺家は、聴いたことを、見たことをない人にも「情報」に依って腐されることが多い。
分かりやすく巧さを感じさせる芸風ではないので、物足りない人も忌避する人も居るであろうし、それはそれで仕方のないことではあるが、噺家としての了見はしっかりしている。

「見る」「聴く」ではなく、「呼ぶ」と言う立場になると評価は変わる。
行く先々の水に合わせられると言う点に於いては侮れないものがあり、何処へ行っても集まった人を楽しませる事が出来る。

「紙入れ」「短命」「品川心中」と三席、テーマとしては「女は強い」。
マクラで挟み込まれる師匠や先輩・後輩のエピソードの「声色」や「形」は特徴を捉えていて幅があるのだけれど、落語本編に入ると登場人物は「立川キウイの落語国の人」として類型化されて行く。
何処にルーツのある噺でも、「立川キウイの落語」になってしまうので、スノッブな向きには受けにくいと思うが、登場人物が分かりやすく整理されているので、とっつきやすくもある。
そこが誰でも楽しめる、しかしスノッブな客には評価されにくい部分であって、家元の古いお客さんでもそれを奇貨として珍重する向きも居たのであった。

志らく一門から志ら松、志らぴー、今回も前座さんを二人。
自身も前座生活が長かったからか、長めに好きなように演らせている。

「鮑のし」志らぴー
志らく門下らしい、賑やかで楽しい演出。 明るく楽しく、方向性としては志らべさんに近い。
甚兵衛さんが与太郎っぽくありすぎるような気はしたが、そのあたりはそう教わっているのだろう。

「長屋の花見」志ら松
「女は強い」のテーマからは外れるが、前座として長めに演らせて貰える機会も少ない為か是非にと言う事でこの演目に。
雪の日ではあったが、立春を過ぎて天神様の梅も既にほころび、桜の花芽も膨らみつつあるので、時季としては悪くない。
爆笑編にはなっておらず、妙な入れ事も無く、枝葉の笑いを追わずに話の幹だけで淡々と進む。
気になって訊いてみると、ぜん馬師匠に稽古を付けて貰ったとの事で納得。
一寸速いような気はするが、リズムは悪くないし、目先の笑いを取りに行かない了見が良い。

芸人として生きて行く厳しさを知るキウイ師ならではの、前座に対しての打ち上げの差配や気働きについての苦言も聞かれたが、そこも向き不向きはあるので、向いていない自覚があればそこから解放される方向でなんとか頑張って欲しい。

高座で語られる「あいつはダメで」的なエピソードは多分に誇張を含んでいて、それを笑うのは悪いことではない。 しかし真に受けて本当にダメなのか試したり、説教をしたりというのは野暮の極みである。
ちゃんとしていなければ生きていけない社会からちょっとずれた所にあり、そこでしか生きられないであろう人につかの間の夢を見せてもらうのが寄席の芸だと私は思う。
そこに世知辛い世間を持ち込むのは勘弁して欲しい。

芸人として光るものが有っても、徒弟のとっかかりでしかない前座のうちに訳のわからない理由でクビになったり、心が押し潰されて辞めてしまったり、命が燃え尽きたりする例を幾つも見てきた。
まぁとっとと二つ目になってくれれば一と安心なのであるが。

私個人としては、打ち上げでの気働きは副次的な能力であり、欠けていることが芸人としての資質を毀損するものでは無いと考えている。
それが芸人としての身過ぎ世過ぎを難しくするのもまた確かなことであり、キウイ師が間違っている訳ではない。

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