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真奈写真展2024「愛。」(再訪)

前日は真奈在廊日だったので、その場に居るだけで楽しい何かが起こる事を知っている向きも多く、場内の配置やどんな写真があるかを確認して帰宅。
写真そのものと向き合うべく出直し。

4年間、春夏秋冬、朝昼晩、オン/オフ。
働いていたり、遊んでいたり、気を張っていたり、気を抜いていたり。

クローズアップあり、大引きあり、後ろ姿あり、ガラス越しあり。

衣装やロケーションを練って撮った写真は勿論多いのだけれど、それ以外の、仕事以外の部分、仕事とプライベートの隙間の部分などを写したものも多くある。
私がより惹かれたのは後者の部類、ドキュメンタリー的要素を含んだ写真。

昨今は広告写真や雑誌グラビアの延長線上にある、撮る側の書いた筋書きに合わせたポートレートが幅を利かせているが、それだけがポートレートでは無い、と私は思う。

「真奈」と言う素敵な物語が其処に在る。
それを読み解き、解釈するポートレート。

前稿で「喜怒哀楽」と書いてしまったが、怒りや哀しみ、負の感情を切り取った写真は無い。
敢えて足すとすると「驚」と「淋」だろうか。

階段を下りる際、両腕を下向きに伸ばして少し広げる。
その、ピンと伸びた指先。
非演出の部分の、無意識のポーズの可愛らしさ。

幾つかある、真奈の瞳を撮ったカット。
現代社会において「カラーコンタクト」は付けていて当たり前のものとなっているし、付けることで出る魅力もあるとは思うのだけれど、虹彩と瞳孔によって描かれる表情を消してしまう恨みもある。
何点かある、裸眼の瞳を撮ったもの。
特に、少し眠そうに、瞼の下がったカットが実に美しい。
澄んだ瞳の奥の奥。

その日その時の、見る側の心のありようによっても「見え方」は変わると思うので、機会を見つけてもう二度三度。

(2024.01.13 記)


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