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いのうえのぞみ写真展 コーイバート・ナヒーン/ No Problem 「この星の人を撮りたい」

晴れた週末、都合二回、両国へ。
いのうえのぞみがインドで撮った聖者、お祭り、子供たち。
過去作と近作。

ハレパネはプリントのみならず仕上げも美しい。
ピクトリコで以前見た別の写真展では、照明の拙さに呆れた事も有ったが、今回は悪くなかった。
目の高さから上には極力配置せず、そうなってしまう所は正面からではなく、斜めから照らし出しており、見辛さは感じなかった。
展示ノウハウが溜まって来たのだと思う。

通り過ぎる旅行者としてではなく、ピザの期限を使い切る形で繰り返し滞在して撮った写真なので、踏み込んだところまで撮れている。

踏み込みつつ、他者への共感と想像力は持ち合わせているので、負の感情をぶつけられる事も無い。

過去作は聖者やお祭りが中心。
コンパクトデジタルカメラでの撮影なので、威圧感が無いせいか、打ち解けた表情が多い。
標準ズームくらいのレンズだと、出来る事は限られてくるが、その分距離感が一定。
20年くらい前の機種だが、大きく伸ばしてもプリントとしては奇麗。
色彩表現の軽さに時代は感じるが、それが色彩の洪水を描くのには向いている。
出力屋としてのピクトリコの力量、「なんとかする力」によるところも大きいと思う。

近作は、街で見かけた子供と、身寄りのない子供の施設で撮ったもの。

揚げ菓子を左手で持つ幼女。
金糸の縫い取りのある濃紺のワンピースは土埃にまみれ、足元は裸足。
髪はお団子二つに纏めているが崩れかけ、顔は泥だらけ。

金属製の皿に盛られたご飯を右手で纏め乍ら、カメラに鋭い視線を向ける少年。

食べ物を扱う手の違いに「物心」が見えて来る。

近作は最新に近いミラーレス一眼のOM-Dなので、焦点距離も様々だと思われる。
撮り方は変わっているが、それは撮る対象との距離の撮り方の見極めがより厳密になっている。

アウトレンジからの、カメラを意識しない表情を捉えた、鼻をほじる少女の朴訥さ。
敢えて寄らないで撮った写真から感じる節度。

20年の間にいのうえのぞみの内面で起った変化も、撮り方に現れているように感じられた。

写真にキャプションは無く、写真についてのあれこれ、インドと自分との関わりなどは写真展の開催に合わせて作られた図録に詳細に記されている。

先ずは写真と向き合ってもらい、図録を紐解くことで背景を知ってもらう。
この構成は実に良かった。

自作を展示する本格的な個展としては初めてでも、自身が被写体となった写真展は何度も経験してきたからか、写真展としての構成も、図録の意味付けもしっかりしている。

加えて来場者への対応も巧み。
社会問題化している「女性の出展者に粘着する客」に類する人はやはり現れて、私の在廊中にも百人組手みたいな惨状にはなっていたが、全て受け切る。
殊更賛美はしないが否定もしない、無限の無抵抗。
大いに語らせて、満足して帰らせる。

そんなところにも空恐ろしさを感じた写真展であった。

(2024.03.31 記)

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