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ひらかれた、おうち

今日はうんと抽象的なことを書きたい。いつもだけど(笑)

数年前まで、古い3(D)Kのアパートに棲んでいた。Dがカッコ付きになっているのは、キッチンとダイニングが一部屋分で、お世辞にも独立して表記できるほどではないよな、というつつましい認識からだ。

そう、その古くてつつましいアパートが、私は気に入っていた。壁は薄く、隣がどこかの小さな会社の寮になって若いおにーちゃん達が4,5人棲んで若干夜中にうるさかったり、韓国の家族が静かに暮らしていてこちらが迷惑かけてるんじゃないかと思ったりした。

そのアパートは二棟あって、隣の棟の一階には、彼女の一角を季節の色とりどりの草花――ペパーミント、バラ、紫陽花、琵琶、朝顔、紅葉、そして一年中豊かなエバーグリーン(芝生)でいっぱいにしている、魔女さんが一人で棲んでいた。彼女には夕食のおかずをもらったり、家に帰るとそうした季節の花々がドアの前に「ごんぎつね」してあったり、小さな愛をたくさんもらった。

その隣には、英国人の彼氏と日本人の彼女のカップルが、静かに暮らしていた。

つつましいアパートの玄関側には、アパート二棟分と同じくらい広い芝生が、でーんと放置してあった。放置、といっても、定期的に持ち主の農家さんが乗車式の草刈り機でやってきて、ちゃんと手入れをしていた。シロツメクサや、名を知らぬ紫の小花、タンポポが自生していて、我が家はそこをずうずうしくも「家の庭」と呼んでいた。子どもが駆けまわったりシャボン玉するのにぴったりだった。

小さな路地を挟んで向かい側には、やはり古いアパートが3棟ぐらい立っているような界隈だった。日本人も住んでいたが、カレー屋さんで働くネパールの人が数人で棲んでいたりした。

気位が高くなく、お互い気兼ねしない、ご近所。

だからかもしれない、夜、何となく息苦しいときは、私は家のドアを出て、芝生やほかのアパートやらの影を眺めながら、外の空気を吸いながら歯磨きをしたり、ちょっとストレッチしたりしていた。

周りの住宅地開発の影響を大家さんが受けたのか、そのアパートを解体して新しく建て直すという通知を受けとったのは、4年ぐらい前のことだった。5か月以内に出ていけ、って。

そこは駅に意外と近いこともあって、旧公務員宿舎だった土地を一般企業が買い上げて作った新興住宅地の価格はこの田舎ではとんでもないことになっており、たぶん私たちがその時その古アパートに払っていた賃料は、場所に見合わないということになったんだろう。

現在、そこにはシングル用(でも家賃は3(D)Kの倍近くする)のアパートが建ち、隣の芝生も4区画に切り売りされて住宅が建設されている。余分で人に庭と呼ばしておくような空き地はない。

アパートを追い出された我が家は、義理の妹が一緒に住むことになった時期だったのもあって、一軒家を借りて住むことになった。閑静な住宅地。水回り等の設備も広さも、おんぼろアパートのそれと比べたらずっと良い。だけど。

だけど、私はそこで、ちょっと孤独を感じている。

この戸建てに住まっていると、夜風に吹かれながら歯磨きするために、路地へ出て行って良い感じが、しない。路地でストレッチしていても、何だか変だろう。お隣と回覧板のやり取りはするが、ポストに入れといてくださいと言われたぐらいのご近所さん。隣に棲んではいるものの、なんというか、息づかいが、よくわからない。

思うにこの「お家」という構造体は、「家族」という典型的な共同体を、それそのものだけで外の世界から隔てて、快適に暮らすことを目的として建てられているのだろう。

「閉じた家族」を、わたしは居心地わるいと思う。「家族」は、その単位以上に、人ともっと関わって巻き込んで良いんじゃないか?

まして、それを塀と壁で囲って、「閉じたおうち」は、現代人を孤独にするように思う。

そんなに占有しないで、もっとオープンにすればいいのにな。

長屋懐かし。


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