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秩序

秩序

生活の秩序を
両極の世にあり
雨露しのぐ屋根の下だけは
揺らぐことのない小宇宙を

自分の手で行為可能な
モノと時間を
必用ならば配列し直せる
力と勇気を

指先が凍えるなら
暖かさを取り戻せるという
保障と安心を

どうか お与えください

令和四年一月二十二日


誕生日前のこの時期は、毎年、どうしてかしんどい。詩が書けなくなるぐらい、しんどい。(それは、わたしにとって、精神の健康指標)

自分の中にいた筈の女神様が、ひっそりと姿を消してしまったようになって、それもその筈、なぜか思考が石の刑(ってなかったっけ?)のように心に乗っかって責め苦を負わす。

いやー、また来たかー。困ったなぁ…。この波はとても周期的で、その周期は時に猟奇的。羊かよ、って突っ込みたくなるほど私はそれに従順。

日々の小さな儀式(ritual)が、こういう時は大切なのは知っているけれど、ちょうど5年程かけて作ったritualの場を昨年秋に壊してしまったところで、それもとても心許ない。

たぶん、モノが秩序(order)どおりに並んでいる場というのが、途方もなく心安らぐのだろうな、自分にとって。秩序のないこの世の中だからこそ、それを象徴できる物体が手で触れる(tangible)現実としてあることが、自分の心の安らぎには、途方もなく大切なのだろうなぁ。

そういうものが、震撼して一度崩す時期だったのだろうから、仕方のないころなのだろうけれど、寄る辺なく、漂泊しているようで、きっと内向的な同胞で社会へのとっかかり(hook)をうまくかけそびれた人で、同じような思いをしている人がきっと、いるのだろうな。

そんなことを、数年前に亡くなった『自閉症だったわたしへ』の著者であるドナ・ウィリアムズの著作から類推して、それから旅の途中で出会ったそういう人達のことを心に思って、ぽつり、ぽつりと考えたりする。


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