コルクボードアート

コルクボードに描いた絵

『果実』

コルクボード(30*30)、PILOT(Black ink)、硝子ペンを使用した絵
2023年8月31日に完成

コルクボードに描くようになった経緯

 つい最近になってコルクボードに硝子ペンを使って絵を描くということにハマった。小説やらボールペンやらを放り出してボトルインクと硝子ペンに夢中になっていた。
 元々硝子ペンで描いた絵はインパクトが強いので好んでいたが、まさかコルクボードに直接描く日が訪れるとは思っていなかった。

 きっかけは夏休みを持て余していた日の夜。
 私の部屋は兄が家を越したときに譲り受けたもののため本棚や机、ベッドなどの大型家具が残ったままだ。大抵のものは持っていくなり処分してくれていたものの、壁にかけられたコルクボードはその大抵のものに所属していなかったらしく、今の今まで無表情に壁に鎮座していた。
 しかして私も壁に何かを飾るということもなかったので、壁の一部を占領するコルクボードに対して特段不便に思うこともなかった。

 大学生の夏休み、去年の反省も虚しくやることを決めていない私は只管に暇だった。
 何か変わったこと、新しいことをしたいとパソコンの前に伏していた私の眼にまっさらなコルクボードが映る。凹凸のない平面、インクを弾くこともない、何よりもまだコルクボードに絵を描いたことはなかった。
 留め具からボードを外し、おおよそA4用紙4枚分はあるであろうその大きなカンバスを床に寝かせた。

 ざらりとした表面、時折引っかかる凸凹に筆を引かれながら黒インクで線を引く。滲むことなく染み込んだインクを楽しみながら私は幾重にも線を重ねた。
 完成品は焼き入れた様な仕上がりで、コルクボードに印刷したようだという感想を貰った。

最初に描いた絵

 コルクボードに描いた絵は不思議なフラートを持っている。
 立体に視え、ざらざらと滑らかな表面を魅せ、最初から存在するような不自然な自然さを感じさせる。
 私は言語化できないこのフラートが好きで、またコルクボードに絵を描こうと筆をとるようになった。

冒頭の絵について

 私はどうにもカンバス一面を埋めてみたいと思ってしまう性分のようで、冒頭の絵はその被害者ともいえる。
 A4一枚を埋めるよりは幾分か楽で、作業時間にしてみれば5時間ほど。
 しかもそのうち1時間30分ほどは枠の加工なのだから、A4用紙一枚を一日かけて埋めたときよりも作業量は圧倒的に少なかったといえる。

 そうしてさほど苦労せずに作られた一面模様で埋まった絵。
 濁流のように雪崩れ込む情報は無意味で、だからこそ心地よい物なのだと私は感じる。

 この絵は何も意味しない。
 最初に描いた絵が蜂やら鳥やら花やらを連想させ、意味してしまうのに比べれば、この絵は何も連想させない。
 模様をなぞり、組み合わせ、何かを視てしまうのは絵の持つ効用ではない。人間の持つ想像力と妄想力の産物である。

 シミュラクラ現象に代表される人間の持つ視る力。
 この視る力は私が好きな人間の一面である。

そういえば

 最初は黒板だったか。
 黒板の中には何かが潜んでいた。それは鉄を纏った汽車であり、鬼のような形相をした怪物であり、俯く弱者であり、流行りのキャラクターであったりした。それらは板書を消すと出現し、二度と同じ姿を見せることはない。
 板書を消したときに残った白色の模様、それが潜む何者かの正体である。
 それを知っていながら、私はその模様とそこに視える何かが好きだった。

 砂嵐にすら何かを見出すことが出来る人間。
「みんな無意味なことに耐えきれないんですよ」
 どこかで読んだインタビュー記事での発言に、私は心の底から同意している。私は無意味な模様、記号ですらない生成物に意味と意義と物語を見出す人間だ。

 つまるところ、私の絵とはそういったものではないだろうか。
 線を引き、模様を成す。しかしてそれが具体的な何かを連想させるほど私の画力は無いので、人によって見せる表情の異なる模様となる。

 私の友人に絵が達者な者がいる。
 高校時代に何度か私の描いた模様をその画力を用いて描き直すよう頼んでみたことがあった。そうして出来上がるのは私が見出せなかった姿形であり、物語だった。
 小人に視えた絵は木の枝を纏った機械となり、蜂に視えた絵は鳥になって大空を飛び回った。

今はどうだろうか

 私の絵を認めてくれる人ができたのは大学に入ってからだ。
 絵を描き、それを見てもらう。そんなことが楽しくなったのは大学に入ってからで、今では表紙を担当させて頂いている身である。
「君の描く絵が好き」「その絵、いいね」
 そうして褒めてくれている人々の目に私の絵はどうやって解釈されているんだろうか。

 私が描いた絵に何を見出しているだろうか。
 私が小人だと思った絵を鳥だと思った絵を花だと思った絵を見て、何を連想しているのだろうか。
 同じ小人だと思ってもその小人の表情は、仕草は、設定は、どう見えているんだろうか。
 願わくば、私と違うものを視ていて欲しい。
 模様に何かを見出す楽しさを、無意味に意味を見出してしまう面白さを感じていて欲しいな。

冒頭の絵について(若干の補足)

 ここからは冒頭の絵についての私の解釈の話。
 私はこの絵から色々なものを視る。
 中央で天を睨んで嘆くふわふわの怪物、それを丸飲むぬめりとした鯨、それを嘲笑う飾り羽をつけた鳥。左下には太った何かがグフグフと笑っているし、所々には瞑れた魚や滑空する鳥が忙しなく動いている。
 何度も見返しているといつの間にか中央右に怪鳥がやかましく鳴いていた。下品な顔をした魚も高貴な竜も一緒くたに波に飲まれ、大地に伏し、雲を切る。
 明日にはきっと違う何かが視える。いや、明日を待たずとも次の瞬間からさっきはいなかった何かが視えてしまうだろう。

終わりに

 コルクボードに絵を描いてみませんか、というお誘いです。
 なんとコルクボードは100均に売っているんです。大きい物は300円ほどしますが30*30程度なら100円で済みます。しかもしかも、硝子ペンも安い物(飾りのない物)なら1000円もせずに購入することが出来ます。

 絵心がない? 大丈夫。
 私と同じような絵であれば時間さえ掛ければ描けます。

 最初に適当な場所、中心などに好きな図形を描きます。
 その図形を模様で埋めてみましょう。大丈夫、直線や丸といった単純なもので結構です。
 何となく模様で埋まったら、それを外に拡張していきます。
 気まぐれに直線にしたり曲線にしたり、自分の感性が疑わしくなっても気にせず描きます。
 拡張していくとなんとなしに何かに視えてきませんか?
 魚、鳥、虫なんでもいいです。何かに視えてきたら少しだけ意識して描き進めましょう。
 そうして描いていけば私と同じような絵なら描き上げることが出来ます。
 もし何も視えてこなかったら? 冒頭の絵のように一面模様にしてみても面白いですよ。

 皆様もコルクボードアートをお家のインテリアにいかがでしょうか?

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