みにくいアンドロイド

最近じゃ売ってる店がほぼ無くなったアメスピに火を点けて、深呼吸。
ひと昔前にメシ屋でタバコが吸えなくなってから、今やコソコソと人気のない路地で一服するしかない。
世知辛い世の中だが、だからこそこの時間が貴重で、愛おしい。
だからだろうか。
目の端に映った、普段なら無視するであろう事柄に対して、ひどく不愉快な気持ちになって、自分から関わってしまった。

「おい。ガキども。イジメなら他所でやれ。不愉快だ。」

制服を着た上品そうなガキどもはビクッとして俺の顔を見た。
そいつらの中心でさっきまで足蹴にされていた奴は、うずくまったまま顔を上げない。

「なんだよオッサン。関係ねーだろ」

絵に描いたようなガキ大将のような奴が、俺を睨みつけてくる。
だが俺も決してガラの良い風体をしているわけじゃない。
ガキ大将の方も虚勢を張っているのが分かる。

「うるせぇな。こっちは大切な時間を邪魔されてイライラしてんだよ。さっさとどっか行け!」

少し凄むと、ガキどもはうずくまった奴を残して、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
残された奴はまだ顔を上げない。

「おい、お前もどっか行け。目障りだ。」

側に寄ると、ようやくそいつは顔を上げた。
顔は腫れ、唇は切れて血が出ている。
痩せているわけでも太っているわけでもないが、鈍臭そうというか、なんとなく、いじめられっ子っぽい感じがした。

「派手にやられたな。」

何気なしにそう言うと、そいつは表情も変えず、ひどく落ち着いた口調で言葉を発した。

「問題ありません。これは私に課せられた役割なので。」

その目はガラス玉がはまっているだけなのではないかと錯覚してしまうほど、なんの感情も感じられない。

「役割とか言ってんじゃねーよ。少しくらいやり返せ。男だろ。」

喋りながら、余計なことを口走っていることは自覚していた。
しかし、そいつの返答はまるで予想外のものだった。

「助けていただいてありがとうございます。しかし、私はこのためにつくられたアンドロイドなので、この程度の損傷は問題ありません。」

やばい奴に関わってしまった。そう認識する前に反射的に口が動いていた。

「何言ってんだお前」

そいつは俺に向き直って、文字通り機械的に喋り出した。

「私は形式番号Q-310。イジメられるためにつくられた最新鋭アンドロイドです。現在、試験運用のため近隣の中学校に配備されています。」

人型アンドロイドの発展が著しいという話はネットニュースで見たが、目の前にいる奴は人間にしか見えない。

「いや、お前人間だろ。どう見ても。」

そいつは自分の血を拭き取ると、その傷口を俺に示した。
傷口の奥にあるはずの肉は無く、そこには代わりに鈍い銀色の機械が覗いた。

「私は限りなく人間に近づけてつくられています。なぜならば、そうでなければイジメられないからです。」

どうやら本当に人間じゃないらしい。だが、

「言ってることが、さっぱり分からねぇ。」

イジメられるためのアンドロイドなんて、聞いたことがない。
するとそいつは淀みのない口調で説明を始めた。

「昨今、教育現場でのイジメ問題は深刻化しています。事態を重く見た教育省は解決策として、極めて精巧に、そして人より醜くつくったアンドロイドを導入することで、教育現場からイジメを撲滅する手段を選びました。現在は試験運用中ですが、間もなく実用化される予定です。」

「ちょっと待て、なんで精巧で醜いアンドロイドがいると、イジメが無くなるんだ?」

アメスピは既にフィルターの手前まで灰に変わっていたが、聞かずにはいられなかった。

「本来イジメられるはずだった人間の代わりにイジメられるためです。そのためには人間に近い見た目でなければならない、という研究結果に基づいてつくられています。」

何か大きな違和感を覚えたが、言葉にできない。

「だがよ…だからってガキどもが皆お前をイジメるとは限らないじゃねぇか。」

すると、そいつは不思議そうな、あるいは当然のような顔をして、こう言った。

「人間は、醜い人間を排除したくなるのでしょう?」


それから数ヶ月経って、全国の学校に「イジメられる用」のアンドロイドが導入されることがニュースになった。
最初の頃こそ賛否両論だったが、やがて本当にイジメが減少し始めると、反論する奴はいなくなった。
そのうち、学校だけでなく、一般人でも「ガス抜き」のために購入する奴が現れた。
そうして、そう長い時間が経たないうちに、イジメられる用アンドロイドはごく当たり前のものとして広まっていった。


酒場の端では酔っ払ったサラリーマンたちが、同じように背広を着た一人の男を囲って殴っていた。

「胸糞悪い。」

つい言葉がこぼれた口に、ビールを流し込む。
店主のオヤジは新しいビール瓶の蓋を開けながら、よくある光景だと笑った。

「お客さん、知ってるかい?この前街中でデモ隊と警官隊の衝突があって、結構な乱闘になったんだよ。でもアンドロイドもかなり参加していたらしくて、デモの連中も警官もアンドロイドをタコ殴りにして溜飲を下げて、騒ぎが収まったって話さ。アンドロイドもいい仕事したもんだ」

酒棚の上のテレビに映るニュースでは、ちょうどそのときの映像が流れていた。
デモに参加した奴がインタビューで「アンドロイドなんで、安心して殴れますね。本当、騒ぎが収まって良かったです」と答えていたが、殴られて横たわるアンドロイドは、人間と区別がつかなかった。本当にアンドロイドなのだろうか。

「最近はあの手の騒ぎも減ってるみたいだし、ありがたいことだね」

オヤジはそこまで喋ると、テーブル席の客に呼ばれてカウンターを出た。
テレビはもう次のニュースを映している。
もはや戦争は回避できません、と深刻そうな顔で伝えるキャスターを眺めても現実味が無かった。
近所の乱闘の方がよっぽど現実味があって、気分が悪くなる。

「料理に髪の毛が入ってんだけど。どうしてくれるんだよクソジジイ!」

オヤジに対する酔っ払いのクレームがここまで聞こえてきた。

「胸糞悪い。」

もうビールはぬるくなっていた。


アラームが鳴る前に目が覚めた。
冷蔵庫から水のボトルを取り出してから、PCの電源を入れた。
最近は乱闘騒ぎのニュースを見ない。
そういえば、あの酒場の夜から、そういう胸糞悪い場面に遭遇していない。
戦争中であることを除けば、いたって平和だ。
その戦争だって未だに現実味が無いほど、日常は普通の日常のままだ。
そんなことを考えているときだった。
ぼんやりと画面をスクロールしていると、警告音と共に表示が現れた。
この地区の非常事態時メッセージだ。
『只今、敵国から当地区への攻撃を確認しました。精密機器のみを破壊する電磁波攻撃と考えられます。人体に影響はありません。落ち着いて、指示があるまで自宅で待機していてくだ』
すべて読み終える前に、ディスプレイは真っ暗になった。
おいおい、冗談じゃない。
部屋中のすべての電子機器がウンともスンとも言わない。
指示があるまで自宅で待機って、一体どうやって指示するつもりなのだろうか。
食材も備蓄も何も無い。
しばらく考えて、外の様子を確認することにした。
人体に影響は無いらしいし、食料は欲しい。

外へ出ると、やけに静かだった。
皆自宅で待機しているならば当然ではあるのだが、いつもならサラリーマンが多いこの時間だ。
随分と素早く避難したものだ。
それ以外に異変は無い。大通りの方へ足を運んだ。
やはり大通りも静かだ。
これじゃ食料も買えないかもしれない。

ふと、交差点に目をやった。
何かが落ちている。
いや、人が倒れていた。
それも一人ではなく、十数人はいる。
ただ事ではないことはすぐに分かった。
状況が理解できないまま、一番近くに倒れていた男に駆け寄る。

「おい、大丈夫か!」

抱き起すと、そいつはいつかの酒場のオヤジだった。
目を見開いたままぴくりとも動かない。敵国の攻撃というのは人体に影響が無いのではなかったのか。

「しっかりしろ!」

倒れた時に額を切ったのか、血が流れている。
タオルも何も持ち合わせていなかったから、とりあえずシャツの袖で血を拭った。
すぐに出血は止まった。
いや、そもそもほとんど出血はしていなかった。
その額の傷口には肉はなく、鈍い銀色が覗いていた。

「なんだ…これ…」

ガラス玉のような目が、虚ろに空を見ている。

その場に倒れていた人間は、すべてアンドロイドだった。
それどころか、どこの家もアンドロイドが倒れているばかりで、人間が見当たらない。
いつからこの地区から人間はいなくなってしまったのだろう。

途方に暮れ、空を仰いだ。
ふと、いつかのニュース映像と、いつかのアンドロイドの言葉がフラッシュバックする。

『人間は、醜い人間を排除したくなるのでしょう?』

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