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「母の日なんて、くそくらえ」と毒づいていた30代の私

 上から読んでも「母の日の母」、下から読んでも「母の日の母」。この手の言葉を回文という。そのうえ「母の日の母」は、ひらがなで書いても「ははのひのはは」なのだ。
 娘たちが幼い頃、母の日の私は、いつも不機嫌だった。街に出ればカーネーションがあふれ、「母の日セール」の文字が踊る。嫌が応にも母の日は盛り上がりを見せる。なのにわが家では、母の日なんぞ、どこ吹く風。
「おかあさん、いつもごくろうさま、今日は私たちがカレーつくったから」
 そんな子供が、いったい、どこにいるというのだ!
 五月の青空の下、普段よりも多いくらいの洗濯物の山と格闘し、床にはいつくばって、娘たちの食べこぼしを拾っていると、ほとほと情けなくなる。
「ちょっとォ、今日は母の日なんだけどねえ」
 幼い娘たちに見切りをつけ、夫に文句を言った。彼は新聞から視線を外さずに答えた。
「今日は母の日だけど、妻の日じゃないから」
「だけど父親が率先して、お膳立てしてやらなきゃ、母の日カレーなんて、食卓に載りっこないでしょ」
 いくら煽っても、夫が動く気配はない。
 歳を重ねるにつれ、私は諦めた。母の日セールやカレーの宣伝に、踊らされる方が愚かなのだ。わが家の五月第二日曜日は、普通の日曜に同化し、私は心安らかに、その日を過ごせるようになった。
 そんなある年の母の日、次女が一輪のバラの花を買ってきた。
「カーネーション、売り切れてたから」
 私は笑顔で受け取った。でも実は期待していたほど、嬉しくもなかった。物なんかもらっても「もとは親からの小遣いで買ったんじゃないの」という気がしたし、やっぱり母の日はカーネーションという思い込みもあった。
 だが意外にも、これがボディブローのように、じわじわ効いた。セロファンに包まれて、ひょろりとしたバラは、今や強く心に残っている。
 娘が初めて買ってくれた母の日の贈り物。私は多分、それを生涯、忘れることはない。

The JR Hokkaido(JR北海道車内誌)
「エッセイ家族記念日」2004年5月号掲載
「母の日の母」文/植松三十里 絵/不明

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