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「羊子と玲」と「帝国ホテル建築物語」の書評

 3月5日の北國新聞の書評欄で、「羊子と玲 鴨居姉弟の光と影」が大きく取り上げられました(上の画像)。鴨居姉弟は金沢の出身といえるし、彼らの父親は北國新聞の前身に勤めていただけに、今回の書評は特別な意味があります。
 その記事の中で「これは小説である。虚実入り混じっている。どこまでが『実』で、どこからが『虚』かは分からない」とあります。まさに、その通りで、虚実の境界線を曖昧にできれば、実在の人物をモデルにする小説としては成功かもしれません。拙作の中で、姉弟を結ぶキーパーソンとして司馬遼太郎が登場するのですが、彼の小説など、すべて史実であるかのように読むことができて、その巧みさに感じ入ります。
 拙作の冒頭は、鴨居玲の自殺シーンから始まります。少しだけタネ明かしをすれば、そこに羊子が駆けつける場面は、私の父が火事で亡くなったときの体験をもとにしています。その日、私が帰宅したときに、マンションの周囲には何台もの消防車や救急車が停まっており、騒然とした雰囲気でした。私は警察官の誘導で、煙で真っ黒になった火事場の部屋に土足で上がり、水浸しの床に倒れていた遺体が、父に間違いないと確認したのです。きっと鴨居羊子も大きな衝撃の中で、弟の死を確認したことでしょう。
 評伝などノンフィクションの書き手は、既存の記録を読んだり、ゆかりの人々から聞き取りをしたりして、史実と判断できることだけを書きます。史実は時間軸上に点在しており、小説家は点と点の間を埋めていくものです。その人物がなぜ、そんな行動に出たのか、資料には出てこない情景や会話や、周囲には見せなかったであろう感情を、推しはかって描くのが小説だと思うのです。
 だから事実とは異なる可能性も充分にあります。でも丁寧に資料を読み込み、史実を順序立てて整理し、各シーンの舞台や、ゆかりの場所におもむくうちに、登場人物の考えや感情が見えてきます。そんな気がするだけかもしれませんが、いつしかそれは確信に変わり、物語が形になっていくのです。
 私は作家デビュー以来、歴史に埋もれた人物を掘り起こして、小説にしたいという思いがあります。私にとって鴨居姉弟も、その範疇に入り、特に鴨居羊子は、深夜番組の11 PMを見ていた世代には馴染みがあるけれど、今の若い世代には無縁でしょう。一方、鴨居玲は近年、画家としての人気はあるものの、絵に関わりのない人々には、やはり、そう知られてはおらず、だからこそ書きたいと思った次第です。
 拙作の中で、羊子も玲も人間的な悩みを抱えながら生きていきます。ともあれ、真っ先に書評に取り上げてくださった北國新聞に、心から感謝。
 それと「帝国ホテル建築物語」が同じ3月5日の読売新聞の文庫紹介欄に取り上げられました。朝日と讀賣の両紙の文庫欄に載せて頂こうとは、文庫化した拙作で、ここまで好評なのは初めてです。

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