波羅夷空却への溢れ出た思い。

私にはくーこーくんのが刺さるんだわなぁ。

開眼なんてマジそのまんまぐさっと来た。
ありゃ辛酸舐めたことある人には刺さるわぁ。
14くんも気持ちもひとやんの気持ちもめっちゃわかるもん。

そんで持ってやってくるくーこーくんですよ!
見ててやるって
認めてやるって
そばにいるって
そう言ってくれてるように感じた。
くーこーくんは多分待ってくれる。
足掻いたり燻ったり泣いたりしてても立ち上がって進むまで待っててくれるんだと感じた。

家族ってのは多分便宜上それ以外の言葉が見つからなかったんだろうなって思う。
友達より親友より相棒よりも近くで思い合って助け合って一緒に歩いてくのはやっぱ家族なんだろうな。

唯一無二の人。


精神的な柱がくーこーくんですわ。
彼がどしんと真ん中で座ってるから安心して14くんとひとやんが動けるんだろうな。

強いなぁ眩しいなぁお天道様だなぁ。
19歳、つおいなぁ。
芯がぶれない。
14歳の時にすでに芯は出来てしまったんだろうな。
それがいいのか悪いのかはわからんがそう思うよ。

きっといろんな死を見てきたんだろうな。
無縁仏も沢山の葬いを貰う死も、悔しさに泣く死も虚しさに泣く死もあったんだろうな。
宗派にもよるけど私が体験したのは死者の番(みはる意味)をした。
縁者が集まってかわりばんこに死者が蘇らないよう、死者との決別をできるよう。
くーこーくんは檀家さんの家や斎場や寺でもきっとあっただろうから色々考えたりしてたんだろうなぁ。
既に終わった、死んだ人を弔う事しかできない寺という性質。
死ぬ前とは関わらないのよなぁ。


話変わるけど病院って死に向かうところだと思うのよ個人的に。
苦しみが常にあってどん詰まりの場所だと思ってる。

無論介抱に向かって退院する事もあるけど死の方が多いと思う個人的に。


で寺って死と生が常に存在してる場所だと思うのよ個人的に。
死者を思いながらも止まらない世界をまざまざと突きつけられる場所。


苦しみが現在進行形でその場にとどまってる病院。
既に死んで口のない墓と日々生活を営む生者が混在する寺。

そりゃ考え方の向き違うよなぁ。

お経は生者のために唱えるとか言ってたどっかの生臭坊主もいたなぁ。

介入できるけど出来るからこそ自分の無力さに苛まれる医者と既に終わった物語を他者のフィルターを介して労る坊主。
うーん。
深いねぇ。

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