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りんごの街

 恐ろしいほどに山が近い。それがこの街の第一印象だった。

 前日の朝にウズベキスタンの首都・タシケントを発った列車は、カザフスタンの旧首都・アルマトイの市街地に滑り込み、丸一日近い旅路に終焉を迎えようとしていた。ついほんの数時間前まで、見渡す限りの乾いた草原が広がっていた車窓には、いつの間にか急峻な山脈がつい喉元まで迫っているかのような圧倒感と共に聳え立っていた。より手前に視線を向けると、緑豊かな木々に囲まれた大通りを、これもまた鮮やかな緑色をしたバスが行き交っていた。この美しい緑たちが、この街の第二印象かもしれない。

 列車は1時間とまでは言わないが、それなりに遅れていた。確実にアルマトイの市街には入っているが、カザフスタンのsimカードを持っていないのでどのあたりを走っているのかはよくわからない。同室のマダムに尋ねてみたが、彼女もまたインターネット通信がなく走行位置もわからないとのことだった。車掌は「あと10分くらいで着く」と言っているので一旦それを信じることにした。随分長い間世話になった彼とは荷物をまとめてコンパートメントを出る間際、固い握手をして2人で写真を撮った。彼にはタシケントを出てすぐに「日本の硬貨を持っていないか、いろんな国のものを集めているんだ」と声をかけられ、手持ちのものを鞄の底から取り出して渡すと随分喜んでいた。それ以降、私におせっかいが過ぎすぎるくらいに気をかけてくれ、紅茶用のマグカップを貸してくれたりお菓子を分けてもらえたりした。プラットホームで長時間停車をした時には、私が日本から持ってきた煙草のPeaceを渡すこともあった。余談にはなるが、カザフスタンでPeaceは大変ウケが良かったので名前通り「平和・和平」のよい証となった。結果、概ね車掌の言葉どおりに終点アルマトイ第二駅に到着した。

 およそ24時間を過ごした濃密な空間を抜け出し、プラットホームに降り立つ。ホームも、駅舎も、そしてその全てを抜けた先に広がる街も、想像以上にこぢんまりとしていた。同時に何処かさっぱりした印象さえも感じたが、何より前日までのタシケントの地獄のような熱気と比べればかなり過ごしやすい。あてもなく、深い緑色の街路樹が広がる道を歩き始めた。

 アルマトイ——カザフ語でりんごの街。山脈に擁された坂の街は、旧ソ連のどの街とも似ても似つかない独特の雰囲気を醸し出している。しかし、柔和で涼しげな空気が素肌と心を優しく通り抜けるこの街には、どの街よりもゆっくりとした時間が流れていた。

(続く)

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