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算数の教科書の反比例の例

 小学校の算数の教科書を読んでいて出会った例です。(またです。)「比例と反比例」に出てくる例です。

 反比例の例として以下のようなものが書いてありました。3,000円で同じお菓子を買うとき、そのお菓子の単価x円、買える個数y個として、xとyは反比例すると書いてあるのです。そして、以下のような例が載っていました。x=100のときy=30、x=200のときy=15、x=300のときy=10、といった具合です。これは一見、反比例しています。3,000円あれば100円のお菓子が30個買えて、200円のお菓子なら15個買えて、300円のお菓子ならば10個買えます。しかし、それは「3,000」をお菓子の単価が割り切る場合に限られます。もしも130円のお菓子を買おうとしたらどうなるでしょうか。23個あまり10円です。「買える個数」と言っていますから、最大で買える個数のことでしょう。そうしたら、23個になります。しかし、その場合、130×23=2,990であり、3,000になりません。これでは反比例とは言えないのではないか。「個数」も「値段(円)」も整数です。割り算して「分数」や「小数」になるわけにはいかず、「あまり」を出さざるを得ません。これは反比例の例としてははなはだ不適切なものではないか。

 そもそもこの教科書を熟読すると、比例にせよ反比例にせよ、「実数(という言葉を小学生は知りませんが、ようするに分数や小数も含めた連続した数のことです)」で考えているのか、「整数だけ」の場合も「比例」とか「反比例」と言うのかが不明瞭です。たとえば、一定の速度で歩いたとして、その時間と道のりは比例しています。それはいいのですが、「同じ種類のお皿1枚の重さが何グラム」としたときの皿の枚数と重さは比例すると言ってよいのか。「お皿が1.5枚」というわけにはいくまい。そうしたらこれは「離散的(とびとびの値を取っていて連続的でない)」になっているので、こういうのを「比例」と言ってよいのか。その教科書では比例や反比例のグラフも教えていました。比例のグラフは原点(という言葉も小学生は知りませんが、座標(0,0)の点のことです。小学生はマイナスの数も習っていませんので「最も左下の点」になります)を通る直線であり、反比例のグラフは、例の「双曲線」と呼ばれるなめらかなカーブです。とにかく連続的であり「とびとび」ではありません。ですから冒頭に挙げた「3,000円で買えるお菓子」という例は何重にもおかしいと言わざるを得ません。

 さらに、小学生にどうにか「比例のグラフは原点を通る直線になる」ということを納得させたとして、教科書はその直後に「グラフが原点を通る直線になったらそれは比例している」ということを使い始めます。これは暗黙のうちに「逆が成立する」ことを言ってしまっているのですが、「逆は必ずしも真ならず」というのが論理の初歩です。これは前にも別の例で書いたことがありますが、こうして暗黙のうちに小学生に「あることが成り立ったらその逆も成り立つ」ということを教え込んでいるのはよろしくないと思います。こうして「成績のよい人間は勉強している」という命題から平気で「勉強すれば成績がよくなる」という命題を導き出す大人を量産するのです。この問題は奥が深いです。私も中高の数学の教師の経験がありますが、「x=2であればよい」という表現と「x=2でなければならない」という表現が同じ意味で混在しています。これは十分条件と必要条件であって、このふたつを同じ意味で使うのははなはだよくないのですが、これがまかり通っているのが高校までの数学です(おそらく必要十分条件のつもりで書いているのでしょうけど)。だからセンター試験では必ず論理の問題が出ていたのに!いかに大学の先生は論理を重視しているかがわかるというものです(そしてその論理の問題も小手先のテクニックで乗り切らせようとしているのがいわゆる受験業界ですけど)。確認のために言っておきますが、「必要十分条件」は高校で習う必須の数学です。「逆は必ずしも真ならず」というのはこのように初等数学でも初歩なのですが、残念ながら教科書の執筆者も教員のほとんどもこれに気づいていません。

 かなり脱線いたしましたが、このようにおかしいのが小学校の算数の教科書です。そもそも皆さん、3,000円を持ってコンビニにお菓子を買いに行ったとして、「100円のお菓子を30個買って、残金なし」などということが現実的にあるでしょうか。普通は「まったく残金なし」にはならず、ほとんどの場合は残金が出るでしょう。なぜならそんなに単価はきっちりしておらず、加えて消費税8%がかかり、さらにコンビニ袋の3円まで買ったら、まずそんなに「ぴったり3,000円」にはならないからです。このように非現実的な例を出すのが算数や数学の先生の特徴でもあるのですが、とにかく上述の例が反比例にならないのは明らかだと思います。加えて言うと「比例」は身近に例がたくさんありますが、「反比例」の例がそれほどないことは確かです。小学校で反比例を習う意義は?こういうものは考えてみるとたくさんある例で、「彫刻刀で版画を習う意義」なども考えてみたらあるのかどうかわかりません。大人になって彫刻刀を使う場面はまずなく、版画が好きな人は個別に彫刻刀の使い方を趣味で習えばいいレヴェルではないでしょうか。(それを言い出すと高校までに数学を習う意義も疑わねばならなくなりますが。社会へ出て「サイン・コサイン」だの「微分・積分」だのが必要になる場面はそうそうないと思います。)もちろん学問を「役に立つ・立たない」で判断する危険性はよく承知しております。しかし実際には多くの人にとって「数学を学ぶ意義」は現実的には「入学試験をパスするため」ということだけになっていると思います。とにかく反比例の例はわざわざ作り出さねばならないほど身近にはないことは明らかであると思われ、だからこそ上述の「3,000円で買えるお菓子」のような「不自然な例」を出さざるを得なくなるのでしょう。手段と目的が逆転しています。「反比例を教えること」が目的化しており、そのためにわざわざ例を作り出すということになっています。だからそんな変な例が出てくるのです。そしてこの例は「不自然な例」どころか「不正確な例」となっています!こんな教科書を検定で通すな!

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