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神様は伴走型支援

 この文章は、珍しく(?)いま書いた、書きおろしです。 

 先日、「問題解決型学習?」という投稿をいたしました。それを書いたのは2016年の後半で、そのころ以下に書くことは知らなかったのですが、問題解決型(課題解決型)支援から伴走型支援へ、という主張をなさっているかたがおられます。奥田知志先生です(NPO法人「抱樸」理事長、牧師)。
 私はいま、とても困っています。事務職員ですが、私は数年前に発達障害の診断を受けており、クローズドで就労していますが、障害特性から言ってとても無理なことばかり職場では要求され、厳しいことを言われてはショックで長期の休職を繰り返し、いまも何回目かの長期休職の最中であり、いまの職場に復職する自信はとてもなく、かといって妻子もいる44歳で、転職しても、果たして妻子も含めどうやって生計を立てることができるのか、非常に困窮しております。だれか助けてください。
 奥田先生の「伴走型支援」の話を聞いたのは、2020年1月、ある福祉学校の講演会にもぐって出席した仲間の録音を聴いてですが(奥田先生ごめんなさい)、このように困窮してみると、奥田先生のおっしゃっていた意味が、ひしひしと実感されます。つまり、ほんとうに助けてくれる人って、「課題解決(問題解決)」してくれる人ではなく、いっしょになって考え、いっしょになって話し合ってくれる人なのです。
 友だちというのもそうです。友だちが問題解決してくれるわけではありません。むしろその善意から発するアドバイスの数々は、「余計なお世話」ばっかりだったりします。いいんです、余計なお世話で。アドバイスの内容はともかく、「善意」だけ、受け取りましょう。友だちというのは、いっしょにいてくれて、あれこれ言ってくれるのが、いいのです。
 夫婦というのも、そうです。私は、障害の特性から、料理や片付けなどは、不得意(というかできない)です。それをやってくれるのは、ありがたいです。しかし、妻というもののほんとうのありがたさは、炊事や洗濯ではありません。こういう、夫婦の艱難のときに、話し合える相手がいる、というのが、夫婦の最大の恵みです。(妻からしても、私を、給料袋としてだけ評価しているのではないでしょう。)
 おととい、「会いに行くキリスト教会」の牧仕のともみん先生が会いに来てくださいました。ともみん先生は、朝早く起きて新幹線を乗り継ぎ、少し遅刻なさいましたが、私の家のすぐ近くの喫茶店まで来てくださいました。3時間半くらい、ひたすらしゃべったと思うのですが、さすがたくさんのかたに会われている先生だなあと思ったのは、ひたすら、説教などせず、私の話を聞いてくださったのです。典型的な、「伴走型支援」でした。すなわち「友だち」でした。初対面の相手とは思えないほど、まるで懐かしい友だちに会ったときのような感じで、お話をすることができました。
 じつは、奥田先生が、意識しておられるのかどうか、わかりませんが、神様も、「伴走型支援」です。「恐れるな。わたしがあなたと共にいる」。共にいる、というのが神様の最大の「支援」です。そこに、大昔の人から、現代の人まで、神様に信頼を置いてきたのです。イエスも友だちです。「いつくしみ深き友なるイエス」。友だちは、共にいてくれるのです。もっともイエスさまは、実際に、目の見えない人、歩けない人、重い皮膚病の人を癒やしましたけどね。課題解決型でもあります笑。
 神様の最大の性質。それは、伴走型であること、つまり、「ともにいてくれる」存在であることです。なにか問題を解決してくれるわけではないかもしれないけれど、いてくれるだけでありがたい天の父なのです。

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