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安直に前向きなことを言うな

 2018年11月22日から第2回ダウンをした私は、4か月後の2019年3月23日から職場に復帰し、その翌日、秋葉原で行われた「障害者就職・転職フェア」に行って来ました。第3回ダウンは、そのあと1年以上あとの2020年5月12日からですので、そのあとも新しい部署で必死に働いたのですが、とりあえずそのころから「もう勤まらないのではないか」という思いでいたことは明らかです。そして、その日は午後からでしたので(日曜日でした)、午前は、すぐ近くの浅草橋に行き、カトリック浅草教会の、晴佐久昌英(はれさく・まさひで)神父の司式するミサに出て参りました。有名な神父様です。一度、生をお聴きしたかったのです。

 その日の説教は、見事にハズレでした。少なくとも私にヒットするものは何もなかったです。ミサ後、初来会者として、先生と一対一で話す機会が与えられました(コロナの流行る前です)。「偉い人」の前だと緊張してなにも言えなくなる私のクセで、ろくなことは言えず、しかも午後からのフェアがメインであるため、食事等にも参加せず、もごもご言って帰りました。晴佐久神父はたしか「大船に乗ったつもりで」とかおっしゃったかと思います。

 安直に前向きなことを言ってもらいたくないです。晴佐久神父は、多くの人の心をつかむ説教で有名です。私も、いろいろな本やインターネットなどでかなり励まされました。しかし、その日はノーヒットでありましたし、晴佐久神父の「大船に乗ったつもりで」という言葉は、安直な前向きな言葉にしか聞こえなかったものです。

 奥田知志牧師の説教を聴いていても、たまにあります。あえてやっておられるのだと思いますが、「安直に前向きなことを語る説教」というか「無責任に希望を語る説教」というか…。いいと思いますよ、いろいろな人のいろいろな「当たるポイント」を押しておられるのでしょうから。当たる人には当たるのでしょう(よく動画の視聴回数を見ると、けっこう見られていたりする、そういう説教)。でも、私には無責任に感じられてしまうけどな。いいんですよ、みなさん宗教家であられるし、宗教家は見て来たように神様や天国の話をするものであるし、もう無責任としか言いようがない。かくいう私もひとのこととなると途端に無責任です。なかなか結婚できなくて悩んでいる独身女性などの話を聞いていても、つい安直に「だいじょうぶでしょう」などと言ってしまいます。(逆もあるけどね。子どもとか、とくに親は、面談などで担任から言われたことを、言ったほうの想像もつかないほど重く受け止めているなんていうことは多々あります。担任は無責任にも、きみは甘えている、とか、そんなんじゃダメだぞ、とか言ったりしますが、それも根拠がないといえばない。)

 ですから、安直に前向きなことを言うな。そして、安直に後ろ向きなことも言うな。答えの出ないなかを耐えろ!いっしょに悩め!「答え」を押しつけるな!

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