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中編小説「青臭いフェイクと味気ない真実」3

何気ない日常や青春にSNSや過去の記憶が浸透し、青臭さが暗く肥大化したとき、惨劇が起きる。そして登場人物の真価が試される。「今を生きる人々誰もが無関係ではいられないテーマ」の小説!第三弾!


第三弾あらすじ;少し遠い記憶。思いを寄せるヒカリと歩きながら話した記憶。話の内容も、表情も、仕草も、全てに引き寄せられる。軽薄じゃない人との記憶。しかし同時に、軽薄なミキとの記憶もよみがえる。狂騒のパーティ空間ではしゃぎしゃべり続けるミキ。深いヒカリと軽薄なミキ。しかし「俺」がパーティに飲み込まれやらかした時、ミキの違う一面が顔を覗く。


 トオルと俺。二人縦に並んで、無言で長い坂を下る。
 いつかの雪の日に、ニコライ堂からヒカリと歩いて、この坂を登ったのを思い出す。あの日は大雪で、長靴で雪に深くはまりながら、ゆっくり進んだ。目当てのカレー屋までなかなか着かず、お腹を空かせながら。

「いやあ、この坂は長いね。大雪で前が見えにくい。こんな雪では無かったかもしれないけど、まるで長征だ」
「ちょうせい? なんか聞いたことがある」
「今から八十年ちょっと前かな。中国で起きた、なんていうかな。大踏破というか、大撤退というか大転進というか。そういうやつ。ヒカリ世界史選択だっけ? 毛沢東とか周恩来が、国民党の大包囲から逃れて、物凄い犠牲を出しながら目的地に移動するんだ。険しい山も沼も、突然の襲撃も、あらゆる困難に当たりながら」
「なんかリクの話聞いてたら、今の空腹には全然耐えれる気がしてきたよ。凄いことがあったんだね」
「まあ比べるのはよくないかもしれないな」
「確かにそうだね。歴史はオモチャじゃない。だけどとにかく、世界は広いし、歴史は長い! 進もう進もう」
 と言いながら雪に足を取られ、転びかけるヒカリを慌てて支える。

「おっとっと、ごめんごめん」
「この前巡った神保町は、日本に留学してた周恩来ゆかりの地で、彼の行きつけだった中華があるから、今度行こう」
「そうなんだ。行こう。リクと話してると、ほとんど接点無かったこと知れて、しかもためになるからいいなあ」

 パッチリとした目で、興味津々にうんうんと頷くヒカリ。彼女の表情やしぐさはよく思い出せる。自分がヒカリに何を話したかもだいたい覚えている。だけど、ヒカリもけっこう話していたはずなのに、色々な言葉を聞いたはずなのに、あまり思い出せない。特に長い話になると。話が単調で、嫌でも思い出せる最近のミキの話と、鮮やかに対照的だ。
 ヒカリの声が聞きたい。明るくて明瞭で、はっきりした声。
 
 何かもう、俺はトオルを目で追うのも止めてしまっていた。
 坂の終わりに行き着く。大きな車道も歩道も、巨大な日影に覆われる。上には高速道路が走っていて、ゆるやかなカーブを描いている。上から降る雑然とした車の音。決まった場所に進んでいく列が発する音。頭の中にまで入り込んで、さっきまでトオルが話してたことも、全てかき消していくようだ。そう思うと、今までうるさいと思ったことしかないこの雑然とした音もなんだか心地いい。薄暗い横断歩道を渡り切ってしまうのが、少し惜しい。

 横断歩道を通り過ぎた後は、そのまますぐ横の細い道に入った。
 左側に、白くて四階建ての建物が道に沿って長く続いている。どうやら昔からあるみたいで、出入り口ドアの上には墨で荒々しく漢字が書かれた、大きな看板が飾られ、出入り口の横にはパイナップルの木が植えられている。建物から伝わる歴史が、高速道路に引き続き、トオルの話を彼方に追いやる。

「あの! ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 太くて、よく通る声が響く。俺の真横に中型トラックが止まり、窓の開いた運転席から六十代くらいのおじさんが俺を見ている。反射的に駆け寄ると、おじさんは紙を持って、俺にある会社名と住所を示した。

「ここに行きたい」

 その会社は推測するに新宿駅近くにあるみたいだが、住所をスマホに入力して、地図ページを示しても全ての道を覚えてもらうのは無理だろう。でも大まかな方向は分かるか。しかし。どうするか迷っていたら、トオルが俺と運転手の間に割り込み、スマホを示しながら説明を始めた。方向としてはこちらになります。全てこの地図通りじゃなくても、途中この曲がり角とここ、二つのポイントだけ抑えて、最後のここが目印になるのでそこでずっと右に進めば辿り着くと思います。即興にしては、淀み無い、分かりやすい説明だった。笑顔でトオルと俺に礼を言い、トラックを走らせ去っていくおじさん。
 ナイストオル。と言いたかった。でも、言えなかった。坂での話が俺の中で蘇る。

「リク。やっぱりお前変わったよ」

 再び発せられたトオルの指摘。

「そういえばさ、さっきフランス料理行ったって話したじゃん。あれ実はヒカリと言ったんだけどさ。ヒカリにミクスズの話したらさ、ああ、俺が入ってるインカレね、入るかもだってさ」

 トオルの表情が、坂の透明な拠点の前で話していた時とそっくりだった。

「お前も入ればいいじゃん」

 再び大通りに出た。中華料理屋が立ち並ぶ。近未来的な景色だったり、昔の景色だったりが入り組んで、時に同居するこの街。この街の「この」の範囲もよく分からないけど。
俺の記憶も時系列を無視して入り組んでて、少し前、この通りの店でヒカリとご飯を食べた記憶が蘇る。

 真っ赤な木の柱がいくつか並び、壁は赤と緑の装飾で、陶磁器や、霧がかった剣のような山々の絵が印象的だった。しかしもっとも印象的だったのは、机や椅子の装飾や、壁の色もところどころ剥げ落ち、武骨な木そのものの色が姿を現していたことだった。却ってそういうところがこの店の雰囲気を際立たせている。山等の景色の絵と並んで飾られている、人民服の隊列が大地を行進する横長の絵も迫力があった。

 端っこの、小さな机を挟んで、ヒカリと俺は向かい合っている。お互いあんかけ炒飯とスープのセットを頼んだ。前回、お互い名物の麻婆豆腐を頼んだら、辛すぎてしばらくトイレから出れなかったから、今回は穏やかそうな味のものを注文しよう、とか言い合っていた気がする。出てくるのを待ちながら、そして食べながら、たくさん話した。

 でもやはり、会話の内容がよく思い出せない。断片的には思い出せるけど、具体的な話となると駄目だ。そしてヒカリの携帯にかかってきた電話で、がっかりしたのを覚えている。

「ミキからで、これから会わないか、だって」

 ヒカリは行くと分かってた。俺が行かないと言っても、俺がいつまでヒカリといようと思っているか確認してくれた上で、ミキと時間を調整するだろう。日常じゃ使わない漢字や横文字を駆使して、自信ありげに語り続けるミキが浮かぶ。いつもそうだ。

店の壁際の棚に、赤い鳳凰の模様が描かれた白い壺がある。壺には蓋がしてある。蓋を取ったらもくもく煙が出て店中を覆いつくし、咳をしている内に煙は晴れ、石造りの建物が立ち並ぶ中国の知らない街か、東京のどこかの、駅から離れたひっそりとした裏通りに着くのだ。そしてヒカリもいて、どうしよう。よく状況が理解できないし、携帯が繋がらない、とあまり困った風ではない口調で言うのだ。

 俺も同じような口調で、それはマズいな。俺も今混乱している、とか言うのだ。
 以上は頭の中で映写機を回す俺が描いた世界で、現実では迷った末、ヒカリと別れてしまうのも寂しい気がして、結局ミキと会うことにした。

 午後三時に落ち合うはずが、ミキのサークルの都合とやらで、結局六時前に合流した。新宿の食事メニューも豊富なバー、いや、クラブみたいなところ。カウンターで注文して呼ばれたら取りに行く。机はソファーに囲まれ座り心地がいいが、決して寛げる雰囲気ではない。真ん中のフロアでは同年代の若者達が所狭しと踊り狂い、スペース全体で青い照明が点滅する暗い空間。こんなところで呑みながらステーキを食べている俺はなんだかシュールだ。

 そして予想した通り、大音量でブッチンブッチン鳴る音楽に負けない勢いで、ミキが話し続ける。

「これからは創造の時代だと思うわけ。ほら、全てボーダーレスじゃん。で、あとオンナの時代だとも思ってる。今までの気立て、気遣いはボーダーをなめるだけ。攻めるコミュニケーションができればボーダーは越えれる。あとコアには好奇心。しょんぼりしてるやつらはみんな下にいて、飛んでくわたしらを見上げることしかできない」

 俺は酒が無くなり、立ち上がりカウンターへ。列で並ぶ。オーダーする。水色の酒が出てくる。戻って呑む。ミキの話を聞き流す。また立ち上がる。注文する。戻る。呑む。聞き流す。立ち上がる。呑む。

 最後の方はフラフラ歩いて、ぼおっとして、踊る若者達を見ながら呑んでた記憶しかない。気づけば俺は猛烈な吐き気とともに目が覚め、カラオケ屋で、ミキの膝の上に頭を乗せていた。音痴な男の歌声が聞こえてくる。ヒカリは翌早朝から友達と群馬温泉旅行ということで、申し訳なさそうに、先に帰ったのだという。

 結局音痴な歌を一晩中聴きながら、俺はミキに朝まで介抱された。(続く)

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