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「諦め」の境界線。

そのシングルマザーは、英国で生活保護を受けながら毎日一杯のコーヒーで店に居座り、小さな子供を抱きかかえながらひたすら一作の物語を書いた。
そして、その物語を本にしてもらえるように出版社を渡り歩いたが、実に12社にまでことごとく断られた。13社目にしてようやく書籍化にこぎつけることが出来たが、初版はわずかに500部でしかなかった。

シアトルのダウンタウンで、小さなコーヒー豆専門店を始めたその男は、元はドリップメーカーの営業責任者だった。
「コーヒーを味わうだけでなく、訪れた人がそこで素晴らしい体験をする劇場のような空間としてのカフェバールを創る」という理想に燃えて、チェーン店の事業に取り掛かったが、出資してくれる銀行も融資会社は現れなかった。しかし、242社もの企業に断られ続けても、男は諦めることはなかった。

既に何本もの映画をヒットさせ、米国で成功を収めていたにも関わらず、その男が建設しようとしていた大プロジェクトへの資金融資に、どの銀行も首を縦に振ることはなかった。驚くべきことに300社以上もの銀行がNOといい、それでも男は諦めなかった。

お察しの通り、この有名な三人の登場人物は上から
・ハリー・ポッターシリーズの作者J・K・ローリング氏
・スターバックスの創業者 ハワード・シュルツ氏
・ディズニーランドの創始者 ウォルト・ディズニー氏
の三人である。

世界の誰もが知るところとなる偉大な事業は、一人の人間の「諦めない」という選択から生まれた。
三人とも、まったくもって凄すぎる。
今風に言うなら、「神メンタル」の持ち主といったところか。

しかし、ここでは「諦めないこと」を推奨しているのではない。
もちろん、ハリー・ポッターシリーズも、スターバックスも、ディズニーランドも、三人の「諦めない」という不屈の精神があって今この世界に存在していることは確かだ。
だが、もし仮にJ・K・ローリング氏が出版社を探すことをやめ、ハワード・シュルツ氏が融資会社を、ウォルト・ディズニー氏が出資してくれる銀行を探すことをやめたとしても、各人の強い意志は、その夢をなんらかの方法で実現させたに違いない。
前回の記事の「透明な9ドル」のごとく、彼らにとってその夢はすでに見えている現実だったのだ。

つまるところ、「諦め」の境界線は、実際にその選択をする前にすでに存在している、ということになる。

「諦」の文字は、「言」と「帝(つまびらかにする)」の二つで構成されていて、これには「言葉によって締めくくり、明らかにする」という意味があり、また、「アキラメ」という音は「明ら(かな)目」でもあり、自分がどの方向を向いているのかということも表す。
「諦めない」ということは、目標へ向かう道のりを分断するような線を自分で引かないということであり、「諦める」ということは、すでに本心は別の方向を向いている(選択している)ということなのだ。

「諦めないこと」
「諦めること」
に、正しさや誤りはない。
導き出される結果に「成功」も「失敗」もない。

ただそこに、違う道や可能性があるだけなのである。
そして、その先に選択した人間の、選択した「現在」がただ待っている。

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