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滲む(爆踊りポトレ①)

今更ながら、8月の終わりにクラウン仲間の友人に撮ってもらった写真を載せておきたい。
この日、県立美術館の公園で、わたしはひたすら踊って、友人はひたすらシャッターを切っていた。

外で好き勝手に踊りたかったわたしと、写真を撮りたい友人の利害の一致。わたしは、「撮影」という名目のもと、他人の目を気にせず自由に踊れる上、友人が撮った写真や映像をもらえて、なんだかお得過ぎなのでは……なんて思ったのだけれど、友人も楽しそうだったので更に嬉しくなって目一杯踊った。

緑の中で、陽に当たって、それはそれは気持ちが良かった。

音楽をかけて出来損ないのワルツを踊ったり、自然の音や風に身体を委ねて自分の可能性を探ったり、朝8時からお昼まで踊り続けた。きっとわたしの踊りは、通じた人には見るに堪えない拙いものだと思う。わたしは、"上手に踊れる人"ではない。でもわたしは、踊りたくて踊りたくて仕方がない自分のこの衝動を愛している。

(しっかりと水分補給)

なんだかこの日は身体が解放されたようで、いつもよりも伸び伸びと動けていた気がする。可動域が広いような。そんな感覚。

わたしは踊ることが好きだけれど、踊ることで何が満たされているのだろう、と、時々考える。舞台で踊るときには、誰かに笑顔や驚きや感動を与えられたら……という気持ちが勿論あるし、承認欲求もある。でもこういうとき……ひとりで踊るとき、観客が居ないとき、わたしは何が満たされているのだろう。

答えなんてまだよく分からないけれど、少なくともこの日に感じたこと。なんだかね、生きている!って感じがするの。身体の隅々まで感じながら踊っていると。わたしは確かに生きているんだなぁって感じがする。"確かに生きている"ということ。いつかのわたしにとってそれは酷く辛くて悲しいことだった。でも今はそれを感じられることが楽しいだなんて、思える。心が動く、身体が動く。生きていることが素晴らしいだなんて、いつかのわたしが聞いたら顔を顰めそうな言葉を、何の違和感もなく受け入れてしまう瞬間。

つづきます。

(休憩中に良い枝を見つけた)

※All photos by 🌱
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