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二項対立と極

白から黒へのグラデーションの画像を載せた。この白と黒のグラデーションの画像に白と黒の変わり目の境界線を引いてみてほしい。(引けるならば)一体どこからが黒でどこからが白なんでしょう。


ワイドショーとかニュースあるいはyoutubeなんかのメディアで他人の意見を耳にすることがコロナ以降随分と増えた気がする。そんな中でぼんやり思ったことを書いてみる。なんとなく、二項の対立で物事が進行されることが多い気がしている。例えば、犯罪のニュースがあればその事件の要点を述べた後、コメンテーターに話を振り、そのコメンテーターは自分が「善」の立場にいるとした上で、「悪」としての事件に対してコメントしている。明確に善と悪の二項を対立させてコメントしていることに僕はかなり違和感を覚える。事件に巻き込まれた被害者あるいは、その関係する人からみたら確実にその事件は「悪」である。このことは僕も納得できるし、不運にも被害者になってしまった人のことはとても残念に思う。だが、これがもし、事件の犯人が自分の正義に基づいて行ったとしたものだとしたらどうだろうか。その事件を行った人間にとってそれは「善」であるはずだ。(犯罪を肯定しているわけではない。)白と黒のグラデーションでいうと、白は自分の正義に基づいて事件を起こした人間で、黒はその事に巻き込まれた人間ということになる。この白と黒の位置付けは当人たちのものであるはずだ。果たして当人ではない人間がこの白と黒のグラデーションの上に位置取ることは可能なのだろうか。コメンテーターと呼ばれる人たちの発言を聞いていると、完全に白の側に立っているような人間があまりにも多いように感じられる。迂闊なことを言って炎上をすることを恐れる気持ちはなんとなく察しがつくし、もしかしたら思考停止してぼんやりその位置どりをしているのかもしれない。(メディアという性質上、二項対立で話を進めた方が受けてがみやすいとかいうことがあるのかもしれないが)でもそんなことが本当に可能なんだろうか。僕自身はこのことに関して第3者が白と黒のポジションを取るのは非常に難しいというかほぼ無理な気がしている。というか対立する二項というものなんていうのは存在しないのではないかというのが僕の今のところの結論です。そのことについて少し書いてみます。

何かと何かが対立しているのならば、どこかに中立軸がなくては対立することができないはずです。それは物理的な距離としての中点とされているかもしれないし、両者の意見を伺ったすえの落とし所のようなものとされているかもしれない。ではその中立軸というのは本当に存在するのでしょうか。今回はわかりやすく白と黒のグラデーションを使ってみましたがこのグラデーションの中に白と黒の境界線を引くことは可能でしょうか。画像のちょうど中点に線を引いてみましょう。

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これは果たして中立軸と言えるでしょうか。中立軸ならば破線のすぐ右側は白でしょうか。すぐ左側は黒でしょうか。どっちとも言えないというのが正直なところでしょう。僕はこの画像に中立軸を引くのは不可能だと思っています。(中線は引けるかもしれないけど)でも一つ言えることがあります。それは対立すると思われる「白」という概念と「黒」という概念は存在しているということです。相対する二つの項が存在するのに中立軸を引くことは難しい。このことをどうしたら上手く自分なりに理解できるのか。ここで一つ言葉を足してみたい。それは「極」という言葉。哲学の世界にこんな言葉があるのかは知らないけど極というものが存在するという風にしてやると割と上手く理解できるようになると思います。白と黒は対立する概念ではなく、ある一つの極であるとしてやると理解がしやすくなりました。前の例え話に戻るなら、事件を起こした人間は自分の正義の元に何かを行った人であり「黒」という一つの極である。そしてそれに巻き込まれた人間は「白」という一つの極であり、この2つの極のみ存在しているだけで中立軸も他人がポジション取をしてコメントすることも無いと思うと腑に落ちる。

すごく、ぼんやりと思っていたことを無理やり言葉に起こしたのでかなり分かりにくい気がするけど、そのぼんやりと思っていることが伝わればと思います。

最後まで読んでいただいた方はありがとうございました。

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