自分を支えている考え方のモト

最初に人間不信になったのは、小学校低学年の時で、熱帯魚を売っていたお店の中での出来事。
友人の名前はSO。彼が人の弱みを握ったあとの態度の豹変が衝撃的だった。
誰にも言っていない秘密を自分だけに心を開いて教えて欲しいという懇願のような態度から、人の秘密を握った事での立場の優位性を主張するその変り身の早さを見せつけられた。
小学校5年生のとき、親、学校に迷惑を掛ける問題児の一人だった。悪いことをしようとしているのではなく、悪い事でも関係なくやってしまっていたとう感じが当時の気持ちに近い。
特に何かの反発心でもなく、友達とのやり取りのなかで、面白い事をしていただけだった。
友人のSSと二度の学校への親呼出しから、SSと遊ぶ事をやめて欲しいという母の頼みを聞きSSと遊ぶことを拒否し傷つけていた。
その為、SSが周りを巻き込み、3学期は嫌がらせを受けた。
そのなかで、新たに頻繁にHIと遊ぶことがおおくなり、友達になった。
6年生のころには、HSをまじえ学級便利屋をつくり一年間開業した。


そんな背景をもとに考えたこと
嫌がらせを受け、人間関係に不振をいだく。
なぜ、人は人に不快感を覚え、その不快感を消すために、その個人を攻撃するのか、
なぜ、ムカツキを覚え人は人を憎むのか。
少年だった自分の心にはムカツキという感情がとても、人間の汚い心の部分にみえた。
しかし、そうした自分自身もその事自体に、ムカツキを覚え、個人を憎む心が芽生えること自体に嫌悪していた。
自分自身のそうした心の在り方を見直し、ムカツク心を無くすためには、どの様にしたらよいのかを自分自身が実践することで、解決しようと考えた。
初めに実行したのは、我慢すること。嫌がらせ、罵声を受け止めて自分で心を抑えることを考えた。
しかし、これは忍耐に限界があり、さらに、状況を納めることはできず、ただ、悪化させる。
さらに積極的な改善にはいたらない。
そうした経緯のなかで、次に実行したのは、相手を解釈すること。あいての行動や、嫌がらせ、罵倒を受け止め、自分のなかで、我慢するのではなく積極的に解釈し、自分の言葉で相手のその行動を位置付ける。
こうする事で相手から受けるストレスを消化することが出来た。
そうした中で、小学校を卒業し、卒業アルバムには、将来目標とする大人として、人の心が理解できる人とかいていたのである。
さらに中学生となり考え方を進め、相手を解釈し、その人間を許す事で、相手の行動や言動、価値観を認めることが
重要となると考えた。好き、嫌いという判断ではなく、自分の価値観にソグワナイものでも、その存在価値を認めることができるようになる。
相手を許す事を覚えると、自分自身の他人に対してムカツキをおぼえ、悪い心をもつ自分自身の存在もおのづと許せることに繋がった。
私の場合は、自分の心の許せない部分(人に対してムカツクという憎悪、→争いの原因となる心の醜い部分)
を無くすための努力の結果、たどり着いた他人を「許すという心」をもつことで、結果この発端となった、
自分の許せない部分も許すことができる。自分を肯定することが出来たことが、プラス思考の自分を育てることにつながり人生の転機となっていた。
この経験から、自分の姿勢は、たえず、理解するという受け身の体制になっている。
こうした姿勢が私の人生の軸となる思想であり、個性である。

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