建築から愛されるとは

・建築を知りなさい
・建築を学びなさい
・建築を愛しなさい
・建築から愛されなさい
(谷口吉郎の言葉)
この言葉を受け、良い建築とは何かという思いを巡らし、建築を愛し建築より愛されるまさに相思相愛の関係を建築と築くことが出来るのかと考え、その言葉を人間と建築との営みの中で解釈してみる。
建築に日々愛情を注ぐとは、建築が完成し、施主と建築が生活を初め、その営みのなかで、建築に愛着をもち、愛情を注ぎ、日常の掃除や時期毎のメンテナンスをしながら大切に使うとあてはめられる。その愛情を受けて尚輝きを増し、味わい深くなる事で、建築は施主の愛に応える。施主の愛情に耐えうる建築と、年月が染み込みその分味わいを増す建築、思いや、思い出を刻むことの出来るこの関係こそがつまり、相思相愛の関係といえると思う。建築家として、建物と人との関係を相思相愛とする事を仕事とする。
(建築と人との関係が相思相愛になるように仕事をする)

建築じたいが、日々のメンテナンスがしにくいものや、メンテナンスをしても、耐久性を持ち合わせないもの、または、その汚れが見るに耐えないような形で、建築に表面化してしまうものは、施主の愛情むなしく、その期待に応えることなく、ただ、ただ、汚れ、壊れ、朽ちていく。
建築とはその規模や、コスト、人との関係からみても、使い捨ての対象となってはならないはずである。

例え、その規模が比較にならないほど小さな小物である財布にたとえても、いくら、気に入り使い続けたいと持ち主が願っても、形がくずれ、すりきれ、耐久性のない構造や、使い込むことで味わいの増す素材でないばあいなどは、持ち主がいくら、思い入れのあるものだとしても、その機能を満たすことができず、使用が不可能となり、愛情を注ぐことができず、思いでの詰まったものが、持ち歩けないという悲しい状態になってしまう。

では、愛に応える事のできる建築とはどのように創造すればよいのか、その地域社会に即した、もっとも自然な無理のない秩序のある建築であり、日本において、その建築を追求することは、歴史的建築技術に蓄積された統計的な裏付けの中に見いだすことのできるデザインであるともいえる。また地域毎の自然環境差異によっても、デザインは影響を受ける。
そうしたなかで、文化的な日本建築デザインの伝統を過去から未来に繋げることが可能となる。
この現代の日本建築創造が、自己の個性の表現につながり、自己実現ともなる。つまりは、自分の個性の追求における、日本人としての個性が、ここに表れるのである。
木造に限らず、その素材を選択するのには、必ず合理的な理由が存在する。エコの時代に入り、ただ、好みによる選択ではなく、求められる内容に対してもっとも素直で、適切な判断が求められる。そして、その素材をいかし切った、長期的な耐久性を実現できるディテールは、地域性を考えるデザインとなり、その延長線の完成度の高いところに目指すべきデザインが存在する。

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