わがままな人は人生通して損をする道理

不誠実な人と誠実な人
正直ものが損をすることになるのが許せないし、悲しい。
世の中はズルが許される?ゴリ押しする人の方が金銭的な得をする事がよく見られる。。
金銭的な得が、果たして本当の得であるか、、いや、そんなことはない。
ワガママな生き方で通すと、ワガママを許してくれる人に囲まれるが、それで幸せになれるか、、
ただしい事を教えてくれる人、誠実な人、よき隣人、友人は離れていく事になる。
そうした人生を送ること事態が大きな損となって跳ね返ってくる。
不誠実な考え方をしている人の周りには、不誠実な人だけがあつまり、そこではよい出逢いには恵まれない。
目先の利益にばかりフォーカスしてしまっては、そうした人生の飛躍がないといえる。さまざまな良い出逢いが思わぬ人生の展開をおこさせ、結果、個人では思いつかないような人生の広がりを体験させてくれることになる。これは、実感としてある事実である。
例えば、子供が生まれ育てる時、そのわがままをよりまねた子供となる。自身が成長できていないがために、子育てに苦労し、また、親子関係が上手く行かないという結末になりえる。
部分的な得を得たとしても、受けられるサービスは表面的でしかない。
こととしての質は低く物売りの側面でしか、とくを得られない。
ハード的得はあっても肝心なソフト的な得を得られない。
賢く、また、誠実な人は、関わる人がより、よい物を得て欲しいと思う。よりよいサービスをしたくなる。
それは、金銭的な部分というより、より納得のいく、より満足度の高い人生を送ることができる。
同じものでも、より感謝や愛情を注げる対象として、愛着を持てる存在としてありえるのか、
この領域につながる扉は、その人と物との関係性が鍵となる。
つまり、わがままな人が得をするのは、目先の部分にとどまり、人生においては、大きな損をすることになると感じている。

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