充実感を分けるのは成果の有無?
最近すごくむなしい気持ちになります。
それこそ命を削るような思いでつくったものが全然評価されずに大赤字をたたき出しているからです。
大赤字=人に評価されていない。ということです。
こうなったら徹底的に手を抜いてやれと投げやりな気持ちになるのですが、それは=成果物の低質化、であり、それは許せない。
同じものをつくり続けていますが昔は高い評価を受けていた。
だから、これは時代の流れなんだ、という事は明らかです。
いくらものをつくっても評価が低ければ単なる自己満足に過ぎない気がします。
社会で「天才」と呼ばれるか、「変人」と呼ばれるかを分けるものは、出された成果物を社会がどれだけ受け入れたかによる。(『1%の努力』より)
このままだと私は「変人」です。
むなしい
個人的なぼやきでした。
冒頭の写真は写真ACしがまちさん様の写真を使用させていただきました。
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。