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走るひと、美術館へ行く

今月、国立西洋美術館で開催されているロンドンナショナルギャラリー展に行ってきた。きっかけは、遅いインターネットweb記事の石岡美術館。
石岡さん視点のボリュームたっぷりな解説。でも、石岡さんの解説がどんなに面白くても、これを聞いただけだったら実際に足を運ばなかったんじゃないかな。久しぶりに美術館に行ってみようかな、と思えたのは3年前の鑑賞体験があったからだと思う。

3年前に行ったのは国立近代美術館。
この時美術館に行ったきっかけはあるヨガの時間。
ヨガ哲学の思想を伝えるクラス作りを考えるテーマがあった。美術館に勤務している方が、ヨガ哲学のテーマとリンクする絵を1枚選んで、その方が感じているヨーガ哲学との接点や感じている考察などを話し、そのテーマを感じられるポーズを一つやってみよう、というもの。(ちなみに、他の方もそれぞれの方法でのインストラクションがありました)

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絵は東山蝦夷の《道》。
確か最初にこの絵を見て、それぞれどう感じるかを話あった気がする。
1枚の絵を見て感じることは人それぞれ様々だ。絵を見て意見を交わす体験は新鮮でそれぞれ違う感覚を知っておもしろいなと思った。
この時に自分がどう感じたかはっきり憶えていないのだけど。
今見て感じるのは...
暗くもなく明るくもなく 暑すぎず寒すぎず 
まっすぐに伸びているけど、その先はどこにつながっているんだろう
まっすぐのまま?くねってる?行き止まり?1本道?枝分かれ?
向かう先に何があるんだろう?
どこに向かうかわからないけど真っすぐ進みたい気持ちになる道だ
走りたくなる気持ちは...湧いてこないかな
(ランナー視点が加わった 笑。この時はまだランニングを始めていなかったから、進む速度まで思いを巡らせることはなかったと思う。)
1歩1歩、歩んでいきたい道
色合いが優し気、でも引き込まれてしまうようなチカラも感じる
静かだけど、しーんとした静けさではなさそう
眺めていると自分の心の静けさが感じられる

この絵から想起されてとったアーサナは戦士のポーズⅡ
絵を中心にみんなで輪になって
伸ばした指先の先にイーシュヴァラ(全体世界、神様、おおいなる何か、真実とか)を想い、自分の道を進んでいこうと結ばれたと思う。
絵画とヨガがつながるなんて思いもしなくて。こんなヨガの伝え方があることに驚きと魅力を感じたことを憶えている。
後日、国立近代美術館で東山蝦夷展があると聞いた。ぜひ、本物の絵を観てみたいと思い行ってみて、美術館で行われている鑑賞プログラムに参加した。

MOMATガイドスタッフによる所蔵品ガイド
所蔵作品展「MOMATコレクション」では、毎日一時間ほど、対話を交えたギャラリートークを行っています。
最大の特徴は、作品解説を聞く一方向的なものではなく、参加者主体の鑑賞プログラムであること。当館解説ボランティア「MOMATガイドスタッフ」が参加者のみなさまと一緒に展示室をまわり、みなさまとの対話を進めながら、数点の作品を鑑賞します。
ガイドスタッフを案内役に、みなさまは作品を自由に感じ、想像をめぐらせ、それを言葉にして語り合います。作品と向き合い、他の人との対話によって深く作品を掘り下げていく感覚は、まるで謎解きのようでもあり、新たな作品の魅力を発見していただける機会となるでしょう。
みなさまが理解を深められるようお手伝いするガイドスタッフは現在約40名が在籍。各自取り上げる作品とテーマが異なりますので、何回参加されてもお楽しみいただけます。
                   東京国立近代美術館HPより

   (*現在はオンラインで対話鑑賞を行っているようです。)

5~6人で一緒にまわったのだけど、この時も人によって捉え方が違っていて面白かった。絵を観て心に湧き上がる感情、絵を想うこと、感じるインスピレーション、この感覚を味わうこと、感じたことを言葉にしてみんなでそれを共有してみること、そのあとに観るとまた違った視点ができること。美しい作品は、多くの人にたくさんの感情を抱かせる、そんなことにやっと気づいた。
芸術作品の良さなんて理解できないしな、なんて思っていて美術館は縁遠い場所であったけど。作品に敬意ははらいつつ、自由に感じていいこと、楽しんでよいこと、それらを内観してみること、それが心もゆたかにしてくれることを初めて実感できたような気がするのだ。
あのヨガの時間と道の色合いが印象的だったので、絵はがきを買って今でも玄関に留めてある。最近、すっかり壁の一部に溶け込んでしまっていたけれど、今ちょっと意識して振り返って見ている。

そして、国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展。とりあえず解説に挙げられていた犬や動物に注目してみよう!って、のんきな気持ちで向かってみた。
コロナの影響で混雑を避けるため、チケットは予約販売制。でも、入場時間を守れば時間制限はなかったのでゆっくり観ていくことができた。
犬、いっぱいいた!時代を超えて犬、可愛い(笑)犬に注目してみたら、結果的に絵の隅々に注目できておもしろかった。タイトルに含まれていない部分で描かれているものが気になってくる。中心にない小さな世界。途中、こちらを見ている犬がいたから見つめ合ってみた。鑑賞者はどっち?

意外に心に訴えかけてきたのは風景画だった。
奥行きのある風景画、その先には何が見えるんだろう
空がきれいな風景画、どこまで拡がっているんだろう
この時代、ここに描かれている世界は平和で穏やかなのだろうか
日没の夕陽に引き込まれて、流れる穏やかそうな河をたどってみてくて
走ってみたいなぁなんて思う景色があった。
同時に。
歩くはより深く街に潜る行為とこの雑誌の中では述べられていたけど、歩くって1枚の絵の中を彷徨う感じなのかなあと思ったりした。ゆっくり歩いていると、外側の景色は一定時間同じままだ。走るの速さは、もう少し場面展開が起こる。絵本や物語くらいの場面展開かしら、変化するけどつながっているストーリー、みち。
そして絵も実際に観に行くと、オンライン上ではわからなかった色合い、その厚み、グラデーション、タッチ、絵画自体の大きさ、展示されている場所、遠近、どこから見るか、周りの人混みやざわつきと重なって感じられるものがあっておもしろい。ちなみにゴッホのひまわりの前が本当に一番の人だかりだった!私は遠巻きにながめて、すっと通りすがってしまった、素直に注目してみてもよかったかな、と今ちょぴり思っているけれど。これって観光地をめぐる時の気持ちと似ているかしら?

1枚の絵から感じることが皆違う。自分が感じたことをアウトプットしてみる、共有してみる、そうするとまた新たな視点が加わる。自分の心の感覚を探る。あれ、まさにこの共同運営マガジンWE Runで感じていることとも一緒だ。多種多様な走る、その体験はその人個人のものだけど、その体験が他のメンバーにも拡がって走る楽しみがどんどん拡がっている。
その時の環境、その時の身体や心境でしか感じられないものがあるのは、絵も走るも一緒ね。走るの一期一会、これからも楽しもう。

そして今回買った絵はがきは、こちら。
風景画ははがきになると、絵を観た時の感覚と全く違うようでやめちゃった。少年、何を観て、何を感じているのかな?
いろんなハテナの先を考えながら、走り続けるのだ。

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