「いい人すぎるよ展」に思うこと

 最近、誰かの価値観や思考がわかるようなコンテンツに触れた際の感想として、「この面白さが全くわからない人たちが沢山いてほしいなあ」と思うことがある。

 これを読んで、「自分だけ知ってる優越感っていいよね」とか思った人たちは、私の定義ではその「面白さが全くわからない人たち」に入る。そんな山みたいなことを言いたいわけじゃない。本題をストレートに言うとしたら、「『面白さを感じた私』とはいったいなにものなのか」である。

いい人すぎるよ展


 『いい人すぎるよ展』とは、クリエイティブディレクターの明円卓さんを中心としたチーム"entaku"による新しい切り口の展覧会。「集合写真で中腰の人」や「電話なのにお辞儀してる人」など、日常に潜む「いい人」にフォーカスした美術作品が展示されている。その細かさや見落としていた存在へ馳せる思いが魅力的だ。

 これがあるあると共感を集め、人気の展覧会になっている。この状況に対し、「この面白さが全くわからない人たちが沢山いてほしいなあ」という感想が浮かぶ。


 こんなコンテンツが流行っている世の中は、もっと優しさで溢れてるはずなのになぁ!!!

 歩道を我が物顔で闊歩するあの人たちは、車道に出て道を譲った私の存在になんて気づかなかったじゃないか〜。
 劇場の客席で自撮りしていたあの人は、後ろで画角に入らないように腰をかがめた私に見向きもしなかったじゃないか〜。

 ヨウキャ、インキャなどと人間を二分割するつもりは毛頭ないし、特定の誰かに悪意を向けたいわけでもない。ただ、自分が今現在持つ価値観や、何に面白さを感じるかがどう作り上げられてきたかを考えると、そう感じてしまうよ、という話だ。

 いい人すぎるよ展に限らず、そういった気持ちになる作品はみんなにもあると思う。

 私は、星野源さんと若林正恭さん二人による番組『LIGHTHOUSE』を観た時も同じ思いを抱いた。「こんなに深くて暗い悩みを話すだけの番組、似た悩みを持ってないと面白くないだろ!」と。その上で、「似た悩みをみんなが持っていてたまるか!」と。

 なんだか自分がひねくれ人すぎるよ展に見えてきたのでこのへんで退散しようかな。いい人みたいに中腰で。

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