見出し画像

陰キャとか陽キャとか

流行の歌の歌詞にも出てきたけど
分類したがる〜うんぬん。


分類したがる人もいるかもしれないけど
そうじゃなくて、会話上便利だから使う
って人もいる。


区分けしてそれが差別的視点に繋がったり
レッテルを貼って決めつけたり
個人の可能性を奪うことになるのには
全くもって反対だけど


グルーピングすることで
人の理解が深まることもあるから
いいとも悪いとも
なんとも言えない。


現に私は人との会話の中で
「私は陰キャです」と伝えることもある。


性格が内向的で
楽観主義ではないし
という自己分析のもと
まぁ、共通言語で自分を表現するには
とても都合がいい言葉だったから。


なので

陰キャとか陽キャとか
すぐ区別する人
といってそこに入れられたり、
区別されると心外だなぁと
思ったりもする。


最近特に思うのは
可能性を信じて決めつけずに人の話を聞く
っていうのは
ものすごく高難易度のことなんだなと思うこと。



脳の仕組みとして
アンコンシャスバイアスは
すごく普通のことで当たり前だから
自動運転でそうなっちゃう。


あーはいはいって
すぐ人の話を決めつけて聞いちゃったり
あのことかしら?と
紐づけるのは
脳の仕組みとして仕方のないこと。


という意味での
陰キャ陽キャの区分けは
わたしも差別的発言や決めつけ押し付けに
つながると思うので
どうだろう。と思うところではあるが



会話を円滑にするために
事例の一つとして
共通言語としての
陰キャ陽キャの使用もあるんだけどな
っていうのをなんとなく言ってみたくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?