全てに感謝できるのは

病気も、不慮の事故も、死別の悲しみにさえ心から感謝できるようになるには、スピリチュアリズムに目覚めていることが必須です。
苦しいのも、悲しいのも、落ち込むのも物質的価値感で、自己中心的な想いで現世を生きているからです。

宗教のように、神様や教祖様に感謝する必要はないのです。出来事に感謝できるようになるのです。なぜなら、それらの出来事は自らのたましいの成長のために起きるからです。
江原氏は言います「私に感謝することはないです。あなた自身の中で起きたことなのです。それを自分で評価すれば良いのです。私は少しお手伝いしただけ」

人生の目的は、たましいの成長です。

俯瞰して思考すれば、私達は病気になるため、それらの経験をするために生まれてきたと言えるのです。
現世だけの狭い視野では理解出来ないことです。
あの世を含んだこの世、過去世や来世を含んだ現世という大きな視座が必要なのです。

人は皆、未熟だから生まれてきたのです。

自分の未熟を見つめ、理解し、改善することで「たましいは成長した」と言えるのです。
つまり病気とは自分の未熟な部分であると言えます。病気の原因を知り、病気の意味を知り、改善すべきことは改善し、病気で苦しむ気持ちを理解し、医療や健康や生きること、周りの人へ感謝することを学ぶのです。
全てに感謝出来たときに、たましいの成長を実感出来ます。

「あの世はある、たましいも存在する、では私達人間はこの世で、どう生きたら良いのか?」

それらを思考し、霊界からのメッセージを受けて出来上がった哲学がスピリチュアリズムです。
スピリチュアリズムは生きる意味、目的を示してくれます。

ある程度の年齢を重ねると、若い頃の苦しい経験が今の自分を形成していると実感し感謝することもあるでしょう。
しかし、徐々に「死」という不明瞭な存在が近づいてきます。壮年期になると「死への感謝」という課題がやってきます。

スピリチュアリズムから見れば、「死」はたましいのふる里への里帰り。つまり「おかえりなさい、よく頑張ったね」と迎えられる出来事なのです。

幸せとは何ですか?
怖れがない状態、全てに感謝できること。

『人間にとって人生最大の不安材料である「死」でさえ感謝すべき出来事である』と言い切れるのは、スピリチュアリズムを学び続けた結果と言えます。


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