表現の自由を守るためには、なんでもゾーニングすればいいのか?という話

表現規制の動きというのは、近年、激しさを増している。サイバー犯罪条約など、国際社会からの表現規制に関する圧力のみでなく、国内でも、地方自治体を中心に、男女共同参画基本計画などのなかに、こっそりと表現規制に繋がるような規定が入っていたりする。また、クレジットカード会社などからの圧力もあり、行政、民間を問わず、厳しい表現規制に関する圧力が、日本のアニメやゲーム、マンガなどに限らず、小説などにも影響をもたらすレベルで、始まっている。
 

今のところは、すぐに大きな表現規制が始まる心配は少ないが、安心は一切できないというのが実情だ。

そんな表現規制に対抗する方法としては、日本国内のみで通じるキャッシュレス決済システムを作り、国際的なキャッシュレスサービスの規制の影響を受けないようにすることや、日本国内を対象とした、イラスト投稿サービスを作るなどの方法が、提案はされているという状況だが、根本的な方法は、まだ決まっていない。

そんななかで一つ、対抗策として登場する恐れがある「ゾーニング基準を厳しくする」という方法について、それにはらむ危険性や問題点について、考えたいと思う。

問題点1  ゾーニングを厳しくしても、表現規制圧力が弱まるかが不透明である。

ゾーニングを厳しくし、従来なら成人向けに指定されないような、深夜アニメなどにまで規制範囲を拡大したとしても、それで、表現規制を求める声がおさまるという保障は一切ない。つまり、規制範囲を広げたことによる混乱のみが残り、効果はないという事態に繋がる可能性があり、これは大きな問題点となる。

問題点2  範囲を決める難しさがある。

ゾーニングを厳しくすると言っても、何を基準にして厳しくするかを明確にしないと、大きな混乱を招く。例えば、深夜アニメは全てゾーニングしようとなったときも、ネットのみで放送されるアニメ作品や、海外のアニメ作品の扱いが議論になる。また、こうした基準になると、深夜アニメを辞めて、一斉に規制対象外のネット配信や海外アニメとして逆輸入すると言ったことを始める恐れもある。そうなると、一部の人からは規制が足りないなどの声があがる可能性があり、これはより厳しい規制に繋がることである。そのため、基準の決定が極めて難解で複雑になる、という問題点がある。

問題点を出したところで、今度は危険性についても、考えていきたいと思う。

危険性1  新たな利権を生む恐れがある。


ゾーニングを厳しくするということは、その基準を検討する機関や審査をする組織が必要になる。
そうなると、何を規制するか、あるいは、どれを許可するかなどで、新しい利権が生まれる恐れがある。
こうした利権ができると、それを足がかりにして、他の分野にも勢力を拡大することもあり得るため、表現の自由や公平な審査・運用にとっての脅威になる可能性がある。

危険性2 「青少年の健全育成」や「人権のため」という強い言葉や後ろ盾を得ることで、恣意的運用が疑われても指摘できない恐れがある。

こうしたゾーニングを厳しくする理由は、海外からの表現規制要求や圧力を回避するためだとしても、当然ゾーニングされる≒成人指定なので、青少年の健全育成という、いつもの言葉が使用される可能性がある。そうなると、一部の推進派が、こうした言葉の「強さ」や「批判のしづらさ」を利用し、恣意的運用を行い、それを指摘しづらい世論を作る恐れがある。

危険性3 ゾーニングされることで、ネット通販などで販売が制限される恐れがある。

実は、東京都の不健全図書に指定された本は、Amazonでは買えないという状態にすでになっている。不健全図書とは、一般的に「18歳未満の青少年が閲覧・購入することが著しく不適切な図書類」として解釈される。そのため、Amazonのように、不健全図書になったものを買えないようにされたり、適切なゾーニングを確保するスペースがないといった理由で販売をしない書店も出るだろう。


ちなみに、Amazonで東京都の不健全図書が、購入できない問題は、青少年のみでなく、成人も購入できない状態なので、書店が少ない地域で暮らす人にとっては、かなり購入のハードルが上がってしまう。

また、これが不健全図書だけでなく、厳しくなったゾーニング基準により、ゾーニング対象になった作品にも適用された場合、影響は甚大である。そういった点からも、ゾーニング基準を厳しくして、表現規制に関する圧力を回避することは、多くのリスクがある割には、確実なメリットが少ない方法なのである。

まとめ

国際的な表現規制に関する圧力が、様々な方向から、様々な方法でかけられている現在、これを回避するために、自ら規制を厳しくし、ゾーニングを厳格にして、いわば「頭を下げる」方法をしたとしても、相手が「自主規制するなら許す」と言う保障はない。

自ら規制して、自ら表現の自由を捨てるよりも、表現規制に反対する政治家や、国際的な表現規制に囚われない国内向けの決済システムの開発をする、したいという人の応援、あるいは、自らも表現の自由を守るために、表現規制反対の政治家のボランティアに行ったり、表現規制の現状について、考えてみることも必要だと考えた。

今回は、これでおしまいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。