優しい「表現規制」

近年は「禁止用語」があまりにも増えている。
禁止用語が増えているのは「差別だから」とか「時代遅れだから」と言った理由が多く見られる。
しかし、実際の差別や偏見はその用語すなわち「言葉」を禁止、制限すれば解決するのだろうか?

言葉を禁止しても、内心や制度上の差別は残り続けることが殆どである。
つまり「口にしなくなるだけ」なのだ。

実際の差別は減らず、逆に心の中に溜まり続けているのに、表面上だけは差別がなくなったように見える。

つまり言葉の禁止だけだと「差別が地下に潜る」だけなのである。

そのうえ、使える言葉や表現も著しい制限を受ける。
本来このような「言葉狩り」は両者にとってメリットが少ないはずなのである。


こういった、優しさや配慮から来る表現規制は、優しい表現規制とも言える。


世間では「差別を許すな」「多様性、ダイバーシティ」と言った言葉が溢れているが、本当に、言ってることを実現しているか?

さらに、優しい表現規制は、言葉に限らない。
最近では、キャラクターの見た目なども多様性、ポリコレに配慮せよという「風潮」がある。
さらには、キャンペーン広告などを行う場合は「男女比を均等に」などと言い出す始末である。

こうやって「表面上だけ」が「美しく」されていくのである。
このような世界の末路は「見た目だけきれいだけど、少し中身を掘り下げるとドス黒い闇の部分が見える」という、まさしく「臭いものに蓋をする」世界である。さらに、臭いものに蓋をする世界になれば、美しく加工されたものだけが表に出るようになり、悪いものは隠すという「新しい隠蔽」が本格化する。


「優しい表現規制」は、単に使える言葉が減るとか、差別が見えにくくなると言った問題だけではなく、こういった危険性ももっているのである。