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アナタハ、サンタ、シンジテル?

「…ねえ、サンタさんっているんだよね?」

先週から相次いでインフルエンザ陽性になったせいで、私と一人娘のハトちゃんは、昼間っから布団を並べていた。
ハトちゃんも、もう小学6年生。
クラスメイトからの情報を総合してゆくと、「サンタクロースは両親である」という結論に至ったらしい。それでも、ハトちゃんはまだ家族に聞いてみないと分からないと思ったらしい。寝込んでいる母親に尋問を始めたのだった。

「ねぇママ、サンタさんはいないってお友達が言うの」
「えっ?(うろたえ)」
「あんなに沢山のプレゼントをね、たった一晩で配りきれるはずがないって。それに…」
「それに?」
「私が何が欲しいのか、毎年あんな風に当てるのは無理だと思う。だからママとパパでしょ」
私はしばし沈黙して、言葉を選んだ。
「私たち親は、サンタさんからお願いされてるんだよ。あなたが普段どんなに頑張っているのか見ることと、何が欲しいのかを知ること」
「ふうん」
「そして、クリスマスの朝にプレゼントが用意できてるのか見守ること。サンタさんがもし間に合いそうになかったらパパとママがなんとかするようにお願いされてるの。良い子がガッカリしないように」
「全世界そうなの?」
「……多分」

6年生までずっと信じていてくれた娘。気づくのが遅い方かもしれない。初めての尋問にあって、少しだけ『楽になりたい』と思わなくもなかった。

でも、どうにか「サンタはいない」という決定的な言葉は避けた。踏みとどまったのにはわけがある。

🌲



遠い昔のクリスマスの朝、ワクワク感に胸を膨らませながら目が覚めると枕元にプレゼントがなかった。
「なんで?」
目をこすりこすり茶の間へ歩いて行く。
もう小学校高学年になっていて、クリスマスへのお伽話めいた興奮は下火になっていたものの、プレゼントへの期待感はまだまだあった。
朝ごはんをこしらえている母を見つけて声をかける。少し撫然とした声で。
「おかあさん、プレゼントは?」
「ああ、はいどうぞ」
母は、押入れから紙袋を出してきた。
「実は、サンタさんはいません。お父さんとお母さんがサンタです」
と手渡しされた。
衝撃。
「え?」
なんで、なんで、おかあさんがそんなことを言うの…。もちろん、これまでにも疑う要素はてんこ盛りだった。イブからクリスマスの朝までの両親の不自然な動きや、こそこそ話や、絶対に開けてはならない押入れなど…。
でも、なぜか、心の奥底ではどこかでサンタクロースの魔法みたいな部分を信じていたのだ。
それが、母の言葉により否定されてしまった。
母はおそらく、私に姉として、下の二人の妹たちに「サンタが」プレゼントを渡す協力をして欲しかったのだろうと思われる。
「いないんだ…」
分かっていたのに、でも、枝に一枚だけ残っていた希望の葉っぱが吹き飛ばされてしまったような、残念な気持ちでいっぱいになった。魔法はとけてしまった。

茶の間の小さなクリスマスツリーもピカピカではなく心なしか「ペカペカと」光っていた。

🌲

私はその時の残念な気持ちを覚えている。
だから、なんとしてもハトちゃんの心にたった一さじでよいから、サンタさんの魔法を残しておきたかった。
多分、子ども一人一人にとってそれぞれのサンタ実在感とその濃さは異なるのではないかと思う。ハトちゃんにとってサンタさんはもはや、姿を現して直接プレゼントを渡してくれる人ではないようだ。
雪深い寒い寒いところで、良い子たちを見守り、良い子たちに幸せを配ろうと心を砕く、おおらかな優しい存在なのかもしれない。例えその人が近くに出現することはなくとも、この世界のどこかに大きな気配を感じつづけている。そういうひとしずくの希望がある。

なんなら、私だってその存在を感じている。
だから、ハトちゃんの最後の一葉は残しておくことにした。

名前は「サンタ」ですらないかもしれない何か、「佳きもの」。
さらにクリスマスでなくても、そのあとの年末に、頑張っている人ひとりひとりのおでこをそっと撫でるような「佳きもの」。

私は、ハトちゃんに信じたままでいて欲しい。

世の親御さんたちも、
『サンタクロースいるのか問題』に白黒をつけてしまう前に、少し考えて欲しいと思っている。




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私が子どもの時に信じていたもみの木のおはなしデス。
🌲🎄🌲


ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。