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アレルギーは「可哀想」?

悪意のないパワーワード

「かわいそうに…」
娘のアレルギーを伝えた時、ある人から帰ってきたその言葉に、めちゃくちゃショックで傷ついた。
(逆の立場で言ったことのあるセリフ・・・こんなにパワーワードだったとは…ごめんなさい。)

言う側にとって「かわいそう」はたぶん全く悪意はない。他意もない。

「先週インフルエンザにかかってさ」
「それは大変だったね」←
この返しと同じニュアンス。
単純なねぎらいと寄り添おうとする姿勢。

でも受け取るママ(私)にとってはこんな風に聞こえた。
「あー。これからこの子は我慢や苦労をたくさんするだろうね・・・。子供は被害者。哀れみしかないわ〜。」
↑いやいやおかしいよね!笑 
でもこれがリアルな思考。

そう。
このショックは受け止め方の問題。
そもそも何か言われて傷つくのって、自分が気にしてること、図星のことを言われた時だよね。
娘がかわいそうって、一番思ってたのはもしかしたら私なのかも。
人の言葉にざわざわする前に、自分自身の意識改革が必要!

くるみが食べられない、ピーカンナッツもだめだって。
外食には困るし、頂き物も要チェック。
これから先、確かに大変なことはあるかも。
だけど、イコール「かわいそう」では決してない。

アレルギーはギフト!

もしまた「かわいそう」に出会ったら、ママは必ずこう言うんだ。
「確かに『大変』な部分もありますね〜」
さらりと訂正するからね!

悪意もなければ事実でもないからもう傷つかない。

それに、アレルギーが教えてくれたことはたくさんあるから。
この子のアレルギーはギフト!
そう胸を張れるように。

食改善、生活改善。できることを一つずつ。

知って選べば、どれも正解!
今日も楽しい食選びを!

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