見出し画像

小説『兄ちゃん、もう弁当忘れんなよ!』第2話


 お母さんは、暫く引き出しをがたがた開けようとしたけど、開かなくて、鍵を探し始める。あちこちの引き出しを開けてみる。開ける度に、くすぐったい笑い声がする。着物が、くすぐったい、と笑っている。お互いの肩を突き合って。
「お母さん、もっと静かに開けないと、みんなが嫌だって」
「止めてよ!」
 それで、父親の愛人だったその女性の手を、父親が厳しく叩いて、確か、鞭で叩いたんだったぞ、サディストかな? それで主人公は、ほんとの愛って、狂おしく激しく傷つけ合うものだったんだ! 自分はなんて子供だったんだろう! と悟って、彼は一気に大人になってしまう。とか、そういう話だった。あれって、確か温室の中。主人公が外から覗いてて。でも分からない。本で読んだのかな? それとも映画で観たのかな? それに現実が絡まりだして、僕はなにがなんだか分からなくなる。
 一気に大人になるなんてことほんとにあるのかな? 普通ならちょっとずつ大人になるんだよな。僕っていつ大人になれるのかな? やっとご主人様に名前を頂いたけど。エンジェル。一気に大人になるって、きっといいことじゃない。小鹿物語、だよな、確か。ラストシーンで愛する、大事な大事な小鹿を自ら銃で撃ち殺して、そして大人になってしまう。やっぱりいいことじゃないよな。嫌な思いをしてまで一気に大人にはなりたくないよな。
 誰かに聞いてみよう。お兄ちゃんに? お兄ちゃんって大人なの? お母さんは大人なの? お母さんは、昔々、今時流行らない暴走族で、それで坊ちゃんだったお父さんと結婚したんだよな。おばあちゃんの大事な跡取り息子。着物教室の。
 
 それにしても、賑やかな着物だ。お母さんはまだがたがた引き出しを開けては閉めて、着物はきゃーきゃー騒いでいる。跡取り息子は夢見る少女で、竹久夢二が理想の男で、それでお兄ちゃんが、聖夜で、僕が、天使、だもんな。天使はできれば止めて欲しかったよな。大正ロマンの童話の登場人物みたい。
「天使、声が聞こえるんなら、みんなに聞いてみてよ」
 みんなは自分達のことばっかりで、人の言うことは聞いてない。
 
 僕がおばあちゃんだったら、どこに隠すだろう? ……一番誰も開けそうにないところ。一番背の高い箪笥の、一番上の引き出し。おばあちゃんはどうやってそこを開けたのだろう。お母さんにも届かない。僕が、楽々と開けて中を覗く。
「まあ、天使もいつの間にか成長しているのね」
と、変なことに感心している。
 写真が出てくる。宝塚の何組の何とかさん、って書いてある写真。その人の写真が四、五枚ある。男が着るような着物で。僕はその人のことは聞いたことがない。でもポーズが決まっててカッコいい。
「おばあちゃんって、宝塚ファンだったんだ」
「え、私は知らない」
おばあちゃんだけの秘密なんだ。他にも写真がある。多分、おばあちゃんの、ずっと若い時の写真。おばあちゃんは座ってて、側に立ってる人が、きっと僕が小さい時に亡くなったおじいちゃん。
「僕、なんでおじいちゃんの写真、見たことないんだろう?」
「見ているのが辛い、って、おばあちゃんが。どこかにたくさんある筈よ」
この部屋の箪笥は、おばあちゃんの宝箱なんだ。秘密がいっぱい隠れてる。
 おばあちゃんの立ち姿がある。斜めを向いていて、その見事に流れ落ちる黒髪に、白い大きなリボンが結んである。白っぽい着物に、黒っぽい帯を締めている。多分、まだ十八とかそのくらい。その着物が、一番おばあちゃんに似合ってる。キリって引き締まって見える。
「おばあちゃんって、美人だったんだね」
「そうよ。だからおじいちゃんが夢中になって……」
 その下には紙袋があって、中には男の人の写真がたくさんある。僕は床に座って、最初から並べてみる。それはその人の子供の頃から、大人になるまで。あれ、その人とお母さんが並んでくっ付いて撮れている。じゃあ、これは僕のお父さん?
「お父さん?」
お母さんが二回頷く。
「あんたも、もう大人だから言うけど……」
お母さんは、そこまで言っておいて、そこで止まる。
 
 
 
 
Part4
 
 お母さんがそこで氷結しちゃったんで、僕は写真を片付け始める。一枚一枚見返しながら。お父さんは、お兄ちゃんに似ている。なんだか細くて頼りないところが。虫で言えば、ウスバカゲロウ。お兄ちゃんとかは、勉強はできるけど、生活力はなさそう。僕が女子だったら、あれはパスだな。まあ、愛があればどうでもいいのか。
「お母さんは、お父さんのこと愛してたんでしょ?」
 お母さんはまだ氷結して動かない。なんか、イグアナとかカメレオンとかが、歩いてて途中でぱたって止まっちゃって動かない、みたいな感じ。写真を引き出しに戻して、なんだ、そこにはおばあちゃんの扇子が入ってないや、と思ったら、そうじゃなくて、鍵を探していたのを思い出した。
 お兄ちゃんが通り掛かる。
「何してんの、みんな、こんなとこで?」
「お父さんの写真だって、ほら」
僕は、しまった写真をまた出した。お兄ちゃんはそれをぱらぱらめくって、なんの感動もない感じ。
「お兄ちゃんに似てる」
「そうか、どういうとこが?」
「ウスバカゲロウがね、……」
 僕が折角、ウスバカゲロウ説の講釈をしようと思ったのに、お兄ちゃんは、僕の頭を二回撫でて、そのまま勉強に戻ってしまう。自分の弟のこと、頭がちょっと変で、だから余計、可愛いみたいな、そんな感じ。いつも。
 
 鍵を探さないと。でもウスバカゲロウのことも気になる。なんだかんだ考えていると、自分がなんのために鍵を探しているのかも忘れてしまう。
 鍵のことは後にしようと思って、僕は、がやがやうるさい着物の部屋を後にして、自分の部屋のパソコンで、検索してみた。そうそう、このイメージ。やっぱり似てる。羽が透けて、あっち側が見えそうで、身体も細くて、風に飛びそう。お父さんはどこに飛んで行ってしまったのか、お母さんが氷解しないと分からない。
 お父さんもきっと生活力ないタイプだろうから、きっと今頃、どっかの世界の片隅で、床に落ちて死んでそう。ウスバカゲロウ。床の端っこの角のところで、埃にまみれて。風が吹くと、まだ、ばたばた羽を震わせる。未練がましく……。
 僕は写真から、お父さんのイメージをそこまで固めたから、満足してたんだけど、お母さんはまだ着物の部屋で放心状態だった。僕はその引き出しの一番下の一番奥から鍵を探し出して、入っていた物を綺麗に元に戻した。
 
 いつか、昔のドラマで、主人公が鍵のかかる日記を持っている、というのを観て、ロマンを感じたんだけど、今思うと、そんな大したことではないのかも知れない。その鍵は丁度そんな感じの鍵で、なんだか直ぐに曲がれそうなくらい、ペラペラのシルバーだった。
 鍵でその引き出しを開けた。僕はなんのためにそこを開けたのか、いつもみたいに雑念だらけで、ウスバカゲロウのことで頭が一杯だし。まだ。
 開けたらそこに、おばあちゃんの扇子があった。手に取ってよく見たけど、思ったよりずっと小さい。広げてみる。この香り。僕の原体験。風を起こしてみる。この軽さ。確かにこれだ。後ろから急にお母さんの気配がする。いつ氷解したんだろう? 僕はなにやら、江戸川乱歩風な、怪人二十面相的な不気味さを感じながら、お母さんの声を聞く。
「これこれ、白檀の木の……」
「え、これって白檀の木でできてるの?」
「なんだと思ってたの?」
「扇子に匂いを付けただけだと思ってた」
 

 
Part5
 
 弟の天使が、まだ夢の中でじたばたしているうちに、優等生の兄、聖夜は学校に行ってしまった。ぐずぐずベッドからは出たけど、活動はなかなか始まらない。天使の頭の中ではいつものように、多数のことがぐちゃぐちゃになって、どこを引っ張れば現実に戻れるのか分からない。
「高校生になったら子育ては終わり、って期待したら」
母親に遅くまでアニメを観ていたのがばれて、朝っぱらから、お小遣いを減らす、と怒られた。
 天使は、天使みたいに微笑んで、天使みたいにお祈りをする。元暴走族でサディスト寄りの母親が、そのポーズに弱いのを知っている。
「お母さん、それはないでしょ。もう買うもの全部決まってるし」
天使は必死にお祈りをする。小さい時は母のことを見上げてたけど、天使の背が母より高くなって、ドラマティックに跪いてお祈りをしようとして、ふと、キッチンのテーブルを見ると、弁当箱が二つ置いてある。非常に不味い予感がする。
 
 天使の手に、おばあちゃんの扇子。前回、とんでもない戦闘に巻き込まれた天使は、なにかあった時には、咄嗟に扇子を開いて、悪霊を払う作戦に出た。この扇子には、謎の力がある。アニメ好きの天使は、なんでもかんでもそうやって空想にしてしまう癖がある。昼休みは始まったばっかりで、天使が覗くと、聖夜はまだ机で勉強している。熱心にノートに書き込みをしている。
 子供の時に感じたような驚きはないけれど、この扇子には、やはり謎の力があると信じられる程の魅力はあった。特にその木の部分に細かな彫刻がしてあって、それが女性の着るドレスに縫われたレースのような効果があって、閉じてあった扇子が開く時、優雅に木と木が擦れて、それが、魔法の孔雀のように羽を広げていく。
 
 広げた扇子で顔を煽っていると、いきなり後ろからもぎ取られた。
「どこにあった、これ?」
鋭い声。天使の脳の活動が、ショックでたっぷり一秒止まる。
「……返して!」

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?