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[玉列神社+飛鳥坐神社+添御縣坐神社] 私が私の一番のファン

次から次へと様々な寺社仏閣へ足を運びますが、全ては高次元からの導きを受けて、動いています。本を読んだり、TVで見かけたり、人から紹介を受けたりと様々な媒体を通して導き情報は到来してきますが、物理的にその場へ足を運べることが「私らしさ」と思うようになりました。

余裕が全くないと思う週であっても時間だけは作れるようで、金曜日に仕事を終えてから少し仮眠を取り、夜中から出かけることもあります。翌朝に目的地へ辿り着いていることを考えると、少しぐらいの無理は無理と感じず、むしろ招かれている土地へ行けるだけで元気が出ます。

一方、四苦八苦の四苦を毎朝、考えます。
生きる・老いる・病にかかる・死ぬということは4つの苦しみだと言われていますが、その反面、日々の生活の中には生きている楽しさもあります。私は次の週末にどこへ出向こうかと考えるだけでワクワクと心が躍り、また毎朝の写経中に1柱でも多くの神様の名前とその方の使命を学ぶことが、365日の楽しみです。
毎秒、若返ることはありませんが、今後、健康を保てるかもわかりませんが、死ぬことを考えるよりかはむしろ、生きて、やれることをドンドンとやっていこうと考えています。

生きているには様々な楽しみがあり、苦しみもあっていいと思います。そしてその両方があるからこそ、気分を変えてみようと新しいことを始めたり、新しいことを学んだりするように思います。

そんな風に日々、何かに没頭できるようなモノゴトを探してみてください。手を動かすことかもしれないし、音楽を書くことかもしれないし、祝詞を覚えることかもしれないけれど、一人一人が、独りよがりに楽しめるモノゴトが見つかれば、「私は私でいい」と自分自分が自分自身の一番のファンになると思います。


そして私は私に与えられた命題である弥勒を全うするように日々、みだりに生きることなく、生きています。



玉列神社(たまつらじんじゃ) ー 奈良県桜井市慈恩寺

大神神社の摂社として大物主神の御子神 玉列王子神(たまつらおうじのかみ)を主祭神として祀り、天照大御神および春日大御神を配祀神として祀る。

玉列神社

大和朝廷の頃には伊勢や初瀬への交通の要衝として栄えたほか、三輪山 太陽神祭祀の南麓拝所として太陽と魂を重ねるという意をもって玉列という名称となったと言われている。

玉列神社 参道の椿

昔より境内には多くの玉椿が自生していたことより玉椿大明神とも呼ばれていた。

玉列神社 本殿
金山彦神社 鉱山や金の神様(左)
猿田彦神社 村を守る道祖神(中)
愛宕神社 竃や火の神様(右)
誕生石
「誕生さん」と呼ばれ、子宝石として古くから信仰を集める

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参拝の後、どうも拝殿の左の方から呼ばれるため、目を凝らして見てみると灯籠にセミが引っ付いていました。
灯籠と言えば春日大社を思い出しますが、灯籠の目的は火を照らすことで邪気を祓うや、道に迷わないように照らすといった意味があり、一方セミには5つの目があり、顔の両わきにある複眼と言われる物を見るための2つの目と、真ん中にある3つの単眼で光を感じる目たちです。

蝉灯籠

灯籠のセミさん曰く、見慣れているモノの中にこそ、気が付いていない面白い発見があるので常に好奇心を持つこと、そして生きることを努力する、すなわち人生を一生懸命に謳歌しつづけることで、私たちが進む道には必ず光がさしこみ、その光の力により、迷いや邪念を断ち切られるということでした。

光輝く外削ぎの千木を見ながら、玉列王子神からは太陽からの光のエネルギーをいただき、そして蝉灯籠さんからは火から光のエネルギーを頂戴しました。


飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ) ー 奈良県高市郡明日香村

主祭神には出雲国 大国主命の御子神である八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)をはじめ、飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)こと下照姫命(したてるひめのみこと)と建御名方命(たけみなかたのみこと)、そして八重事代主命の妹神 高照光姫命(たかてるひめのみこと)が祀られており、また天孫の祖神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)も祀られている。

飛鳥坐神社
飛鳥坐神社 拝殿

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むすひの神石をはじめ、境内のいたるところに陰陽石が置かれており、古代より子孫を残すことが生きることへの使命であり、それ故に子宝に恵まれることが一番大切な生きる営みだったのかなと思いました。

むすひの神石
中の社 八阪神社・金比羅神社の陰陽石
陰陽石信仰
陰陽石信仰

特に陽石は山の神様が降臨される磐座として祀られおり、春には山の神を陽石に降臨していただき田畑の恵みをもたらし、収穫の終わる秋ごろには山へお帰りになるという考え方があります。

こういった飛鳥に伝わる古くからの風習は「おんだ祭」にもあり、毎年2月の第一日曜日に行われる子孫繁栄や五穀豊穣を祈る日本の奇祭の一つです。
祭の始まりは天狗やお多福、翁、牛が細かく裂いた竹を束ねたささらで参拝者のお尻を叩き周り、厄払いを行うことから始まり、神事の第一部では天狗やお多福らによる田植えの式を行い、第2部では天狗とお多福が夫婦和合の儀式を行い、「福の神(かみ)」が紙(かみ)として撒かれ、この紙を手に入れられた者は子宝に恵まれるという言い伝えがあるそうです。

飛鳥大仏や蘇我入鹿の首塚には度々足を運んでいましたが今回、初めて飛鳥坐神社を訪れてみました。
飛鳥では人と神様のつながりが今の私たちが想像する以上に強く、そして神様がいるからこそ、私たちは生きる目的を持ち、その目的を末裔までつなげてこれたように思いました。おんだ祭を含め、こういった昔からの教えや知恵をもっともっと学びたいと思いました。


添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ) ー 奈良県奈良市三碓

御縣(みあがた)とは朝廷へ献上する蔬菜(そさい)を栽培した直轄地であり、添という地域は御縣であったことより、その地に鎮座する神社として添御縣坐神社と命名される。御祭神には建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)と櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の夫婦神が祀られ、武乳速命(たけちはやのみこと)を祀る。

添御縣坐神社
添御縣坐神社 拝殿
添御縣坐神社 本殿

一説によると、武乳速命は氏神様として古くより祀られており、その真の名はこの地の豪族であった長髄彦(ながすねひこ)と言われており、神武東征時に亡くなったことを悲しんだ人々がその霊を祀ったのが添御縣坐神社の起源とも言われている。

子授石

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参道の階段を登る途中より、社殿の中より「こっちこっち」と音が聞こえてくるため、境内へ入ってすぐ、音のする方へ体を向けると、手水舎の赤龍さんのお出迎えでした。

手水屋の赤龍さん

寺社仏閣にて手水舎の龍さんにお出迎えをしてもらったことが無かったため、茶目っ気のある容姿と赤色に笑顔になりました。
早速、参拝前の穢れを祓い清めてもらおうと手を洗っていると、赤龍さんは楽しそうに笑顔でした。この地で様々な参拝者を迎えているそうで、入り口で元気な出迎えをしてもらう方が良いでしょ、と言われたようでした。

確かに、これからどのような神様や精霊にお会いするかわからずに境内には足を踏み入れるため、やはりWelcomeに迎えていただける方が記憶にも残り、うれしいものです。

福神宮と九ノ明神

その後、拝殿の横から本殿を見ていると左上から声がかかったと思い、上へ上がってみるとこの地を治めていた小野福麿公の御霊を祀る福神宮とその家臣の9名が祀られている九ノ明神でした。なぜか九頭龍さんを感じる場所でもありました。
祈っているとどこからともなく、そよそよと風が吹いてきたため、小野福麿公とこの9人の家臣の方々に歓迎されていることはわかりました。

その後、背後の山に祀られている天之香久山神社と龍王神社へお参りをしたところ、やはり風がそよそよと吹いてきたため、今度はなぜか、長髄彦さんから、「おかえりとありがとう」と言われたような気持になり、この登美の地をこよなく愛した、そしてこの地を守ってきた氏神様に歓迎をしてもらえたことに、素直にうれしくなりました。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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