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[美保神社+飛行神社+長屋王墓・吉備内王] 宇宙とのつながりと慰霊鎮魂

「生きてるだけでまるもうけ」という言葉は、単に欲しいモノゴトを受け身で待っているのではなく、むしろ1日1日を生きているからこそ、得るものを得る、という情熱のエネルギーを感じます。

輪廻転生を繰り返す中でより多くのことを学び、より多くのモノゴトを体験していきますが、今日にやれることは今日行い、明日にやることは明日やればいいと、気持ちの割り切り、または気持ちの分離を学ぶことが大切です。
この分離があいまいになると、生き急いで焦ってみたり、過去を振り返り反省してみたりと、未来や過去の自分に執着してしまい、今を生きることが疎かになってしまい、ひいては生きている価値を見落としてしまいます。

私たち一人ひとりは神様から命を受け取り、生かされ、生きています。折角、一命を受けて現世へ戻ってきていますので、死んでしまったら出来ないようなモノゴトを一つでも多く体験していってほしいと神様は願っています。

私は生きていることへの感謝と生かされていることへの感謝、そして両親とご先祖様のもとに生まれてきたことに感謝をして、日々、切磋琢磨しながら、常に神様と対峙しながら生きています。



美保神社(みほじんじゃ) ー 島根県松江市

御祭神には三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)が祀られており、三穂津姫命は大国主神の御后神として、事代主神は大国主神の第一の御子神として、両神ともに出雲大社の大国主神とのご縁が深く、出雲の大国主神を大黒様として、美保神社の事代主神をえびす様として2柱をあわせて「えびすだいこく両参り」と呼び、両社を合わせてお参りすることで、より良い縁に恵まれると言われている。

保神社
廻船御用水 おかげの井戸
干ばつが続きに村人が困って美保大明神に雨乞いをしたところ、この場所を掘ると水が湧き出るとのお告げがあり、掘った井戸
保神社 神門
保神社 拝殿(手前)と本殿(奥)

毎年4月7日に行われる青柴垣神事(あおふしがきしんじ)は、高天原から派遣された天津神 建御雷神に出雲の国を譲るよう迫られた大国主命がたまたま美保碕で釣りをしていた息子の事代主命に国譲りについて相談を行い、事代主命は国譲りに同意するものの、天の逆手を拍って自らは海中に青い柴垣を作ってお隠れになったという神話に因んだ祭りであり、蒼柴垣神事は国譲りの神話を儀礼化することにより神霊を年ごとに新たにする儀式でもある。

宮御前社・宮荒神社・船霊社・稲荷社(左社)
御霊石(右社)
御霊石(おたまいし)
若宮社・今宮社・秘社

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美保神社の参道に入った途端、ワクワクとする喜びが心から溢れて出てきて神門へ足が急ぎます。

神門では一礼を行い、心や体についている穢れを祓い除けていただき、そしてこれから受け取る神様からのメッセージや高次からのエネルギーを身心に入れる準備を整えます。神門から先は一歩一歩を踏みしめながら、頭の中・心の中を空っぽしていきます。

神門

拝殿・本殿では、無事、美保神社に辿り着けたことへのお礼とともに、美保の地へ導いてくださった神様に感謝をします。この時に、ふわっとした風を感じたら、神様も私達の訪れを喜び、そして更なる良いご縁へ繋げていくという標です。

拝殿

社だけではなく、木木や花花をはじめ、灯籠や石垣の苔や御霊石等、境内には様々な精霊さんが様々なモノに宿っています。気が付くと境内を数周しているかもしれません。神々や精霊さんたちも私たちの訪れを待っていらっしゃったので、是非、気が済む=清むまで境内に滞在して、メッセージやエネルギーをお受け取りください。



飛行神社(ひこうじんじゃ) ー 京都府八幡市

日本で初めて動力飛行実験に成功した二宮忠八(にのみやちゅうはち)氏が自らが神主となり航空界の犠牲者慰霊のために建立した神社であり、天磐船(あまのいわふね)に乗り天孫降臨をした神 饒速日命を御祭神とする。また航空事故で亡くなられた方々や航空技術に貢献された方々をはじめ、薬業界の偉人たちを合祀する。

飛行神社
手水舎
常盤稲荷社

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空を見上げると、雲がモクモクと拝殿より立ちあがっており、まるで社が宇宙を祀る神殿のように見えます。そしてこの神殿を通して慰霊者の皆さんが宇宙と繋がっており、そして慰霊者の皆さんが潤滑油となり、私たちと宇宙をつなげてくださっています。

拝殿

航空事業に係る多くの方々が飛行神社へ参拝されるということですが、この土地へ呼ばれる方は宇宙とのつながりへ招かれている方々のようです。拝殿でお参りをされた後には、拝殿の上にある空を見上げて、宇宙と神様・祖神様と私たちが三位一体のつながりがあることを体感してください。

そして現世とのつなぎとめの役割を果たしているのが摂社となる宇迦之御魂神のようです。飛行神社を参拝される際には必ず、摂社の常盤稲荷神社へもお参りいただき、日々、生かされていることへの感謝をお伝えいただければ幸いです。


長屋王墓・吉備内王(ながやおうぼ・きびないしんのうおうぼ) ー 奈良県生駒郡平群町

第40代 天武天皇の長男 高市皇子(たけちのみこ)の長子として生まれた長屋王は藤原不比等の死後、最高位の左大臣となり第44代 元正天皇と第45代 聖武天皇に仕える。

長屋王の変では漆部君足(ぬりべのきみたり)や中臣東人(なかとみのあずまひと)ら、藤原不比等の息子 藤原四子の讒言を受け、謀反の罪を被り、長屋王と夫人の吉備内親王(きびないしんのう)、そして皇子 4人とともに自害する。

長屋王御墓
吉備内王御墓

長屋王と吉備内親王は生駒山のふもとに永眠する。

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長屋王という方が気になり始めた頃に、たまたまご縁で、お墓参りをする機会を頂戴しました。標識を見ながら御陵へ到着してみると住宅地の中に御陵が立っており、もしかすると素通りしてしまうような門構えでした。

長屋王の御陵はまるで隠れているような、或いは志を同じにする人々によって匿ってもらっているような、ひっそりとした息使いで今の土地にいらっしゃるようでした。

長屋王御墓

参拝をしながら感じたことは、とても多くの方々に長屋王の魂は守られており、今なお崇敬されていることが分かります。半面、長屋王の魂はどこか寂しく、侘しさがあり、それは志半ばで断念した夢や謀反の罪で子孫を絶えさせたことへの心残りのようです。
そして私が出来ることは長屋王や吉備内親王の存在をお話することで一人でも多くの人々にお二人の存在を知ってもらい、ひいてはお二人とその子孫の慰霊鎮魂にお役に立てればと思います。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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