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[花の窟神社+磐船神社+山ノ神遺跡] 岩や森に宿る神々と共に生きる私たち

あらゆる万物に霊魂が宿っているという考え方は私たち日本で暮らす者が日々の生活を通して感じる自然崇拝ですが、こういった行為はスポーツ選手が競技場という聖地へ足を踏み入れる際に一礼をする、また競技の結果にかかわらず、無事完遂することができたという感謝の意を込めてその聖地を立ち去る際に一礼をするといった行動に現れています。換言すれば、自然崇拝とは自然界に存在するありとあらゆるものに精霊が宿り、私たち人間もその森羅万象、あらゆる理の一部に過ぎないという神道の共存共栄の姿勢そのものと言えます。

「雷様がおへそをもっていくぞ」という言葉を聞いたことがあると思いますが、夏に語り継がれる迷信の一つです。特に夏の雷豪雨は急激な気温の低下をもたらすため、薄着をしている子供たちが風邪をひいたり、腹痛になることを恐れて、「油断をしていると雷という怖い神様がやってきて、人間の急所ともいえるおへそをもっていくぞ!」という戒めと、雷様からおへそを隠そうと身体を前かがみに低くすることで落雷を避けさせる智慧があいまった民話と言えます。こういった民話を通して語り継がれてきた智慧には、神様が畏れ多い存在であり、常に私たち一人ひとりの日常生活に存在しており、そして何かしらの気づきをもたらしてくれる稀有な精霊であることは確かです。今月号ではこういったありとあらゆる姿で自然界に存在する霊魂が、私たち人間の目の前に現れる際に依り代となる磐座(いわくら)についてお話をしたいと思います。


花の窟神社(はなのいわやじんじゃ) - 三重県熊野市
 
伊邪那岐と共に国や神を産んだ伊邪那美は、カグツチという火神を最後に産み落とした際、その火により火傷を負い亡くなってしまったとされ、その墓所がこの花の窟である。自然崇拝形式をとる花の窟神社では本殿を持つのではなく、巨大な磐座自体を伊邪那美のご神体として祀る。こういった磐座をご神体とする祭祀方法は古代神道に多く見られ、社殿の中に神を祀るのではなく、神様が宿る巨木や巨石に玉垣をめぐらしたり、注連縄で囲うことで神聖さを保つ。

玉垣や注連縄で囲われた依り代

こういった聖域を神籬(ひもろぎ)と呼び、地鎮祭のようなその時々により神を迎える=神様が依る所を依り代(よりしろ)という。花の窟では年2回、約170メートルの大綱をご神体とご神木にかける「御綱掛け神事」が行われる。

花の窟神社
花の窟神社 ご神体
花の窟神社 ご神体
軻遇突智尊(かぐつちのみこと)神籬
伊弉冊尊(いざなみのみこと)神籬


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駐車場で出会った白い斑点のある黒いアゲハ蝶は片時も私の傍を離れることなく、花の窟神社を一緒に参拝することとなり、蝶は良いエネルギーを放つ人に寄って来ると言われていますが、神の眷属として「神様があなたを見守っていますよ」というメッセージを知らせてくれています。そして黒いアゲハ蝶は瀬織津姫の化身とも言われており、大祓祝詞にのみ登場する祓戸大神の一人として、とてもミステリアスな神様の一人です。その中でも白の斑点をもつ黒アゲハ蝶はその斑点が饒速日命をあらわしているとも言われており、やはり饒速日命も記紀神話の表舞台に登場しない神秘的な神様の一人です。一説には瀬織津姫と饒速日命がご夫婦であったという伝説もあり、その仲睦まじい姿がバランスのとれた白い斑点をもつ黒アゲハに映し出されています。

黒アゲハ蝶

磐船神社(いわふねじんじゃ) - 大阪府交野市
 
邇邇芸命や初代 神武天皇よりも以前に日本へ降臨され、且つ日本を統治されていたとされる饒速日命(にぎはやひのみこと)が天より降りてくる際に乗ってこられたという天の磐船(あめのいわふね)をご神体にもつ。天の磐船自体は船の形した磐座であり、その下には岩窟が広がり、「岩窟めぐり」といってその中に入ることもできる。

磐船神社 天の磐船 磐座 正面
磐船神社 天の磐船 磐座 正面横
磐船神社 天の磐船 磐座 側面
岩窟めぐり 入口
岩窟めぐり 上からの眺め

山ノ神遺跡(やまのかみいせき) - 奈良県桜井市
 
第10代 崇神天皇の御代に起こった疫病は人口を半分に減らしてしまうほどの猛威を振るい、こういった疫病や天災は神の怒りや祟りだと考えられるため、この祟りを鎮めるために崇神天皇は神からの神託を受けようとその夜、床にはいります。すると大物主大神が夢の中に現れて「私の子孫である大田田根子(おおたたねこ)に私を祀らせるならばこの祟りによる病も収まり、国も安らかに治まるだろう」と告げ、この託宣を機に宮中に祀られていた大物主大神は大神神社(おおみわじんじゃ)へ、同時に天照大神は伊勢神宮へと祀られることになりました。
 
この大物主が祀られている大神神社は本殿を持たず、ご神体である三輪山に向けた拝殿だけがあり、また太古の昔から三輪山は神奈備の山として古代祭祀が行われており、その代表格が山ノ神遺跡です。1918年、開墾のため巨石を動かそうとして発見された遺跡として、大神神社 摂社である狭井神社手前の山の辺の道脇の小道を少し入ったところにあります。

國學院大學博物館 山ノ神遺跡 模型展示物
國學院大學博物館 大神神社の祭祀遺跡・遺物と神道祭祀
三輪山 古代祭祀跡

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聖域に入ったかなと思われる山道より、一匹の蜂が下半身から足のまわりをぐるぐると飛び回りはじめ、結局、遺跡前でも体から離れず、蜂と共に参拝をしました。ブーンブーンと体から一向に離れることがないため、刺されないようにしたいなと思いながらの行き道でしたが、脇道へそれてみても草むらへ入ってみても、まったく体から離れてくれる気配がないため、「なぜ一緒にいるのかな・・・」と気になりはじめた瞬間、ふと「足元に気を付けて」という言葉が心にわいてきました。

山ノ神遺跡への道

「なるほど、そういうことか。だから下半身と足元からつかず離れずの距離でぐるぐると飛び回ってくれているのか」と逆に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。その日は、雨上がりの翌朝に訪れたため、足元の地盤は滑りやすく、また多少ブカブカの厚底シューズで履いていたため、事実、何度もぐねったり、転びそうになった道でした。

山ノ神遺跡周辺

「もしかして入ってはいけない聖域なのか、時間帯なのか、時期なのか」と色々と考え始めた時に浮かんできた言霊であったため、帰り道でもブンブンさんが一緒であることに安心感をもらい、また山ノ神様に迎え入れてもらえたことと、その祝福に感謝しました。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
 
今を大切にお過ごしください。

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