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[出世稲荷神社 宇迦之御魂神+平将門首塚] 光を信じる、静と動を使い分ける、討死するな、そして身震いするほどの勇気をもて

年の初めにはまず歳神様をお迎えしてから様々な神様への感謝と祈りをもって1年を過ごしていきますが、そういった神様の中でもユニークな古伝を持つご祭神をご紹介したいと思います。

本年も多くの「福」とたくさんの「笑み」があるような日本の遺産と神聖な空間をお届けしていきます。


出世稲荷神社 - 東京都中央区日本橋

出世稲荷の目印ののぼり
出世稲荷神社入口
マンション敷地内

江戸時代の初め、北条家浪人である庄司甚右衛他と共に京都 伏見稲荷大社より宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をご祭神としてお迎え、お祭りしたことが始まりとされる。その後、歌舞伎役者である初代 市川團十郎が日参の末、名を上げたことより出世稲荷神社と称されるようになった。以来、芸能関係者などからも信仰の厚い神社となり、今ではマンションの敷地内に鎮座している。

 

出世稲荷正面

五穀豊穣や商売繁盛の神様として知られる宇迦之御魂神ですが、一般的にはお稲荷さんとしても信仰されており、参拝時には必ず油揚げを持っていくことが通例です。なぜ油揚げかというと・・・、その前に、宇迦之御魂神が狐だと思ってる方も多いと思いますが、狐は神様の使いであり神様ではありません。では狐が宇迦之御魂神の使いになった背景に、御饌津神(みけつのかみ)という別名があり、御饌津神を三狐神(みけつのかみ)と理解されたことにより、狐が神様と勘違いになったようです。また、油揚げが奉納される理由として、その昔、農作物を食い荒らすネズミを祓い清めてほしいと宇迦之御魂神に申し出たところ、使いの狐がネズミを退治したことより、そのお礼として、煮た油揚げにお米を詰めて、あたかもその姿をネズミに似せて奉納したことより、稲荷寿司を「お稲荷さん」と呼ぶようにもなったようです。

なんとなく、ネズミかも・・・

 訪れてみてびっくりすると思いますが、普通のマンションの一角に佇むように鎮座するのが出世稲荷神社です。この神社に出会って十数年ほど経ちますが、一番最初に参った時と、先日参拝した際の光景とに、全く変わりがありません。そして、この神様の前では、神様に対して好奇心が沸き上がってきます。これは神様と祈る者がお互いを知ろうというご挨拶のようなものです。こういった直感が湧き出てきた際には、焦らずゆっくりと氏名と住所を交換してください。

以前、ご縁がないと辿り着かない神社として玉木神社をご紹介しましたが、この出世稲荷も辿り着くルートでクルクルと周辺を往復することが起こるかもしれません。その際には、「神様、ご縁があれば私を目的地へお招きください」と念じながら探してみてください。目の前にお稲荷様が現れるはずです。

将門塚(しょうもんづか・まさかどづか) - 東京都千代田区

 平安時代中期に活躍した関東の豪族である平将門(たいらのまさかど)の首を供養するために建てられた石碑である。

平将門塚 蓮阿弥陀仏

 平将門に関係する旧跡は関東各地に存在しており、この地は都内でも最も著名な伝説地となっている。その理由に、非業の死を遂げた将門の怨霊が後世にまで続き、最初の現象として、関東大震災で全焼した大蔵省庁舎の再建時、首塚を壊して仮庁舎を建設したが僅か2年の間に、大蔵大臣を始め関係者14名が亡くなり、それ以外にも多くの怪我人・病人が続出したことから仮庁舎は取り壊された。その後、米軍が首塚を取り壊し始めたところ、重機が横転したり、その運転手が亡くなったりと、将門の怨霊伝説は続き、更に昭和に入ったころ、首塚の一部が売却され、その地に建てられた建物で働く従業員が次々に病気になる事態が発生したため、近隣のビルでは、首塚に尻を向けないようにフロアレイアウトされていたり、首塚を見下ろすようなことのないように窓は設けないなどの配慮がされており、特に、首塚の正面にはビルが無くなって見晴らしがよくなっている。

 

2021年4月 隣接する三井物産と三井不動産との再開発事業
「Otemachi Oneタワー」に併せて改修工事完了

日本には様々な怨霊伝説が津々浦に存在しますが、東京大手町というオフィス街にある「平将門の首塚」は関東随一に有名といっても過言ではなく、その祟りとは裏腹に、勇猛な武将としての武勇伝が現在のビジネスマンの守り神として訪れる人が絶えません。

また、将門塚では奇怪な体験をするといった口伝もありますが、その体験にご縁がある人とそうでない人がありそうです。特に、高層ビル群に囲まれた場所でもあり、複数の地下鉄出口からアクセスが可能となるため、出口を一つ違えるとなかなか目的地にたどり着けない事象は起こります。逆に、間違った出口かなと思って出たら真横にお出迎えされるという経験もあり、やはりこちらも強い結びつきがあります。

境 社


「平将門の乱」で知られるように、新しい時代を切り拓こうと一念発起をされている方は是非、平将門の首塚へ足を運んでください。私の場合、早朝、「行ってみようかな」と思いついたようにお邪魔したため、地下鉄から続く出口という出口がほとんど開門されており、「いつどこから地上に出れるかな」とご縁を信じて取り敢えず、一つの出口を出てみたところ、その真横に首塚がありました。首塚へ一歩足を踏み入れると、それはとても穏やかで、凛とした、そして軽い風が吹き抜けていく、意識がスッキリとするエネルギーが流れていました。

ちなみに将門の怨霊を鎮圧するために祈祷をした社寺に成田山 新勝寺があります。成田山ではこの祈祷を開山起源としているため、将門とその家来の子孫、そして神田明神や筑土神社の氏子さんたちは成田山に参詣されないらしいです。将門ゆかりの地を参拝される際には、くれぐれも成田山や皇居を同一日に参詣されないような心遣いをお願いします。

おまけ

「エネルギーヴァンパイヤーに影響されないようするにはどうしたらいいの?」

実はエネルギーを吸い取るヴァンパイヤ―は私たち自身の中にある「怒り」や「不安」、そして「焦り」が外の世界に反映されているのです。私たちが行うことは私たちに返ってきます。愛に満ちている人はどこにいても愛を見つけやすく、憎しみに満ちている人は周囲に多くの敵が見えるでしょう。愛も憎しみも外の世界から来るのではなく、私たちが根源となっているのです。

 では「私の中にある怒りや不安、焦りはどこから来るの?」

「執着」と言われる気持ちからです。広辞苑で執着を引いてみると、「強く心をひかれ、それにとらわれること。深く思い込んで忘れられないこと」、すなわち、心をとらわれるとは、欲しいものを手に入れたい気持ちと同時に、永遠に失いたくないという、しがみつきたい気持ちに変わっていきます。このしがみつきたいという気持ちは常に、失ってしまったらどうしよう、という不安をあおり、そのあおりが心を焦らせたり、時には怒りへ矛先を向けます。身近な例では、車のあおり運転です。あおる人も、あおられる人も、怒り・不安・焦りを同時に共有しているのです。

 「執着心を取り除く方法はあるの?」

あります!

陰と陽、光と闇、そして善と悪の関係性のように、どちらもただそこに「在るだけ」と、その在るだけの存在として執着心を認識することからはじめていきます。執着という気持ちは恋人や仕事、お金に出やすいほか、過去の栄光やプライドといったしがみつきたい対象への感情であり、更には正義感が強くあればあるほど出やすい感情でもあります。時に個々の主観がベースとなる正義感は、自分の声を聞いてくれる人とそうでない人といった、敵・味方の線引きや派閥を作り出します。こういった私たちの根源となるような感情を取り除くことはできません。

「この執着心はすべて自分の中にもあり、それが相手に呼応して自分に跳ね返ってきている」と、その事実を認知すること、そしてその感情を取り除くのではなく、「手放してしまう」ことです。興味深いことに、手放すという行為は、消し去るのではなく、自分の一部として統合していく過程となります。「あーそういえば、そういう気持ちになってたな」といった感じで過去の記憶の一コマとなり、自分の歴史の一部として統合されていきます。それで良いのです、それが良いのです。

 こういった一つひとつの感情をむげにせず、カルマとして向き合うことで、自分を知り、そして人の魂は成長していきます。そしてこの学びと成長のループは輪廻転生しながら、魂を解脱の道へ導きます。

 私とカルマの付き合い方は様々で、神社でお百度を踏むこともあれば、ふとイメージされた神社仏閣、山や森の中へ足を踏み入れてみることで向き合います。ヨーガをしながら向き合う方も多いと思います。そういったカルマに出くわしたら、その存在を認め、そして手放すという断捨離の癖・習慣を身につけていってください。

 それでは、一日、一日を大切にお過ごしください。

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