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シンクロニシティ!光の人☆覚めの道!人生の正午と古神道➁

霊能者も宗教も
解決できなかった問題を
解決してくれたのは
従妹の親友の専業主婦で
巫女で神託ヒーラーの
眞理さんでした。

彼女は今までは、
ヒーラーとして人の魂を癒し、
これからは、人の覚醒を
促していくという。

私は、税理士で、アニオタで、
視えも聴こえもしない
ムー民でもある。
※ムー民とは、雑誌ムーの購読

人は笑うが、福山雅治も
ムー民なのが自慢(笑)
ある事をきっかけに、
ムー民歴40年で、今年卒業。

税理士としてのクライアントは、
医療法人、宗教法人、NPO、
株式会社と多岐に及ぶ。

人生の正午と言う言葉を
御存知でしょうか?

心理学者のユングが、
人生を太陽の運行になぞらえて
日の出を誕生、日没を死とし、
人生を4つに区分。

少年期、成人前期、中年期、
老人期に分け、成人前期から
中年期の境を、
太陽が天空の真上とし、
それ境を、人生の正午と
名付けました。

ユングは、人生の正午を
「転換期」「人生の危機」
であると言い、
アメリカの心理学者レビンソンは、
「中年の危機」であると
指摘しました。

何故危機なのか?
それは、人生が、老いてゆく過程に
入ることを意味し、
仏教での苦の老病死を
否が応でも突きつけられるからに
他ありません。

人生の正午は、何時なのか?

ユングは、40歳前後と言い、
人生100年時代では
50歳が適当でしょうか?

私は、死を意識する時が
人生の正午と定義したいと
思います。

私は還暦を2年過ぎました。
身体はいたって元気にもかかわらず
テレビを付ければ見知っていた
昭和のタレントさんは鬼籍に入り、
見知らぬ人ばかり。

親の世代も亡くなり、
友人も旅立つものが
ぼちぼち増えた。

自分の歳に20歳を足してみる。
80歳を超える…寿命だ。

20年などはあっという間だ。

40歳からの20年も、
30歳からの20年も
あっという間だった。

20歳からの20年も
あっというものだった。

0歳からの20年の体の変化、
意識の変化は劇的で、
立ち、歩き、言葉を話し、
成長し、学習し、声も変わり、
大人になった。

20歳から60歳は、
健康であれば意識、心は
平坦で、歳をとっても
20歳の自分がいる。

赤ん坊が20年で
大人になることの逆に、
60歳から20年かけて
劇的に肉体は老化してゆく。

人生は思いの外、
短いことに気が付く…。
まさに、ガーンだ。

ここに気が付く時、
死を意識する時が、
人生の正午だ。

地位も名誉も財産も
あの世には、持って行くことが
出来ないことに気が付く。

喜怒哀楽の感情の中で、
出会った全ての人も
全てが死んでゆく。

今までの経験値も、
価値観も、物の捉え方も
意味をなさなくなる。

地位も名誉も上下も
お金も死の前には
意味をなさない。

「君はどう生きるか」
(byジブリ)は、
「君はどう死んでいくか」
なのだ。

ユングは、人生の午後
(人生の後半)を象徴するのは、
上昇、進展、増大、繁栄
ではなく死であると言った。

何だか滅入る話だが、
死は避けがたい事実。

人生の午前が動で生の世界なら、
人生の午後は静で老病死だ。

全く死など考えずに、
全力で生きるも良いだろう。

逆に、死を意識し、
死の捉え方を、
終わり=「全てが無に帰す」
と考えて生きるか

これは、デスノートの世界観。
そうではなく
スピリチャルが言うように、
肉体は衰えて行っても、
魂は輝きを増し続け
肉体は滅んでも魂は
永遠に続くで生きるか。

無駄なものは何もなく、
魂に刻まれた学びは、
次の来世に持ち越せると考え、
今をこの瞬間を希望を
持って生きるか、
偏屈になり孤独で死んでいくか
安心安全の境地で死んでゆくかの
私は後者を選び、死が終わりでなく、
始まりと考えたい。

日本の縄文から続く、
死生観も希望に満ち溢れている。

魂の、玉、球とは何か?
ここに再生のヒントがある。

次回は、その話。

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