頭のいい大人になりたい

今まで出会ってきた大人のひとたちには尊敬できる人もできない人もいたけれど、尊敬できる人の中でも一番短い付き合いの中で強烈な印象を残して去った人がいる。

その人はY先生といって、1年に満たない短い期間、小学生の時に通っていた進学塾で算数を教えてくれていた。細身というよりガリガリで、歳よりかなり若く見え色白で眼鏡をかけていたのが某魔法学校映画の主人公に似ていたので、生徒からは「ハリー」という愛称で呼ばれていた。

淡々として気性の激しい人だったが妙な愛嬌があり、私は怯えながらもY先生のことが嫌いになれなかった。むしろ好きだった。ただ、どんな授業をしてくれたかは、実はよく覚えていない。私は算数が唯一の苦手教科で、ついていくのが精一杯、ディテールなんか覚えているべくもないのだ。

だからY先生については100%鮮明にはっきり覚えていることと全く覚えていないことがすっぱりと分かれている。そんなY先生の一言をさっきふと思い出したのだ。

その一言は、授業中にずっとふざけ続けている男子生徒に対してとうとうブチ切れた時の言葉だ。

「オリエンタルラジオがどうしてブレイクしたかわかるか?」

当時はエンタの神様全盛期でオリエンタルラジオや他の芸人がお笑いブームで世を席巻している最中だった。オリラジのブレイクした理由なんて考えたことも無かったのでクラスの皆は横に首を振った。Y先生は憮然として言い放つ。

「頭がいいからだよ。あの2人は頭のいい大学を出ているんだ、知ってたか?彼らはただ馬鹿をやっているわけじゃなくて、自分たちに何が求められているのかちゃんと理解したうえで、おちゃらけた風に振る舞っているんだ。きっとオリラジは10年経った先でも活躍してる、それは頭がいいからだ。

だからお前たちも賢くなれ。いい学校に行け。考えて生きろ。

その時は、Y先生の言葉の意味を「志望校に合格していい大学に行け。」と受け取って「授業の進行を妨げられたトラブルを上手におさめた挙句モチベーション付けにつなげるなんて、先生は恐ろしく機転が利いて頭がいいなあ。」と思った記憶がある。そして実際10年経ってみてオリラジは芸能界で生き残っていたので、先生の先見性と正しさに驚いた。

この件とは全く関係ないと思いたいが、Y先生はその年の3月に前触れなく退職した。他の先生から無理矢理聞き出したところによれば、心の病気が原因ということだった。ガリガリで色白のある種病的なあの様子はひょっとしたら無理を通して働いていた証拠だったのかもしれない。まだ過労やうつが今ほど顕在化していないときだった。

この唐突な別れはあまりに衝撃だった。その後Y先生の代わりにやって来た算数の先生があまりに最悪な先生だったことや、その先生が原チャリで事故って複雑骨折したため休職になったことなど色々あったが、この衝撃は色褪せなかった。

今改めて先生の発言や退職のことを振り返ると、子どもの時には見えてなかったことが見えてくる。

振り返って、Y先生はよく切れるナイフのような人だった。当時の私から見たY先生は鋭く怒り、鋭く問題に切り込み、課題を明確に切り分ける人だった。そんな鋭く思慮深い人がただのモチベーショントークで「賢くなれ。いい学校に行け。考えて生きろ。」と言うとは思えない。というか、いい学校に入りさえすればいいという楽観的な考えは持っていなさそうだった。

(生徒の意思に関わらず)生徒をいい学校に入れるために仕事をしている塾講師としてふさわしい態度とは言えないし、もしそうなら、きっと辛い気持ちでいたのではないだろうか。系列の別の塾でバイトをしていたので、そういう気持ちはいくらかわかる。

きっとY先生の言いたかったことは「いい学校に行け。」ではなく、「考えて生きろ。」だったに違いない。「賢くなれ。」は塾講師という立場と個人の大人という立場の間で揺れていた先生がうまくオブラートに包んだ強烈なメッセージだったのではないかとふと気づいたのである。

実際、先生はちゃんと考えて生きていたので、引き際を誤らなかった。そこが尊敬できるし、今でも大好きな、私の精神的なメンターである。彼が今どこで何をしているのかは知らない。あまりに鋭いので世間にすり潰されて死んでしまったかもと思わないでもない。

私とY先生では性格があまりにも違うけれども、それでも先生のように考えて生き、そして子どもに「賢くなれ。考えて生きろ。」と言えるような頭のいい人間になりたい。


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