それって何年後?

世界の当たり前が変わった。何事も最初は戸惑いから始まる。戸惑いはいずれ慣れに変わる。そして当たり前になる。悪いのはウイルスであって、誰も悪くない。誰も悪くないんだろう。だったらどうして感染は止まらないんだ。
マスクをしていればどこへ行ってもいいんですか。旅行している人なんて全員爆破しろって思うよ。でも旅館の人にとっては神様にも見えるのかな。仕事がなくなって自殺する人も増えているのだから。
気軽に家から出ることができなくなって、大切なものに順位ができた。だから私は私たちが安心できるまでもう遠くへは行かないと決めている。それは苦じゃない。私は元々家が好きだから。けれどいつだって思う。除菌やマスクが当たり前の世界なんておかしいに決まっている。おかしいに決まっている。人が死んでいるのに外出するなんておかしいに決まっている。そんな風に思う人がどんどん減っている気がする。だって買い物しないと、経済回さないともっと人が死ぬ。けれどそんなこと考えて外出する人なんてほんの一握り。この世は「不要不急の外出は控えて下さい」と呼びかけても外出する人ばかりなのだから。

私が外に出ることによってまた一人人が死んでいるかもしれない。けれど外に出ないと私がのたれ死ぬ。私が死ぬのは嫌だ。だから他人の命を犠牲にしながら私は生きる。そんなことをずっと考えていた一年だった。だからもう私は悪い人なんていない、誰のせいでもないなんて言えなくなった。

いつか会いたいね。早く会いたいね。でもそれって何年後だろう。あなたに会えるのはいつだろう。3年後、5年後、10年後でもいいから会いたいと思ってくれる人はどれだけいるのだろう。それまで待ってくれる人なんていないと知りながら、それでも会いたいを募らせている。

今の、こんな風になってしまった世の中の当たり前が受け入れられない。私はワクチンもないのにコロナウイルスと共存するなんておかしいと思う。けれどもうどうすることもできない。私は研究者でも政治家でもないから、ただ外に出ず、除菌するしかない。待つことしかできない。だから叫ぶ。こんな世の中はおかしいんだと。この状況に慣れてしまったり、目を逸らしたりすれば、次の瞬間には隣にいた人が苦しみだすかもしれないのだから。

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