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221006_反応だけを繰り返す機械人間

【今日は良い御天氣ですね】

【今日はちょっと肌寒いですよね】

ごくありふれた日常会話。このような会話をしている状態を人と人の浅いレベルでの交流とするなら、より深い交流を行っていくにはどうすればいいだろうか?

多いなあと思うのは【間】を嫌う人が多いなーと思うこと。その【間】を感じないようにするために人は極めてどーでも良い昨日の体験記憶を口からアウトプットしまくる。下手したらそのアウトプットしたものを聞くのが1回で済まないときがある。現代人は肉体を粗雑に扱っているため記憶をスムーズに容易に取り出すこともままならない。

だから1度他人に話した内容のこともスッカリ忘れて、再び喋ったことを同じように初めて話すフリをして何度も話し出す。

このような様相を誰もが体験したことはあるのではないだろうか?

客観的にこういう事象を見ると体験や人の会話をインプットしたものをアウトプットしているだけのもので録音したカセットテープをリピート再生しているだけに過ぎない。

人は今までにないものをクリエイトもできるし、機械人間になることもできる。テレビやスマホ、インターネット、動画などのコンテンツが充実し、いつでもそれを録画などで見れるように整ったから便利になった一方、それらほぼ無機質な情報容量の少ないコンテンツを癒しやリフレッシュという名目で見る人が増え、そういう人達が機械人間となっていった。でも自分が機械人間という自覚はないと思う。もしあったのなら、機械人間という領域から脱出していると思う。貧素な情報内容をひたすら誰かから提供され、それをインプットしていく。そして、そのインプットしたものを人と人との会話の中で起こる間と呼ばれる場所にポンポン放り込んでいく。

人間の肉体というのはある意味、機械的側面がある。機械のように扱えば本当に機械のようになってしまうのである。現代医療がまさに肉体を機械のように扱っている。多くの人が日常で使う機械が長持ちして欲しいと思う。新たに買うの面倒だしお金がかかるから。それと同じように現代人の機械のようになった肉体も長持ちさせる必要があり、それ故、機械的に延命治療や臓器交換などが行われる。

世界や社会で何かをクリエイトしていくには当然、肉体が必要になるがさらには機械以上の何かとして自分のカラダを扱う必要がある。機械人間が生み出すものに新しいものはなく。常に既存の何かと何かを組み合わせただけのものとなる。機械人間が生み出した人工知能AIもそんな感じになるだろうと思う。やがてiPadから立体的な画像が飛び出してくるテクノロジーが登場するだろう。

このテクノロジーが果たして、新たにクリエイトしたものと言えるだろうか?

情報に何かの情報やテクノロジーを追加しないと立体性を感じられないぐらい人間の感性が退化していると言えないだろうか?

反応ばかり繰り返す機械人間はやがてこう思うだろう・・・

この体ってすぐ腰痛なるし、病氣がちになったり、寿命が来たり辛いことが結構あるから、こういう辛い体験をしないボディはないだろうか?と思うようになる。その時、インターネット内でしか存在できない仮想のボディの案内が、とある機械から届き多くの人がそちらのボディに乗り換えていくだろう。

反応だけを繰り返す機械人間はいずれ死にたくても死ぬことができない仮想空間上の機械に本当に成っていく。

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クリスタル・フラーレン

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