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221019_習ったこと、倣ったことのない状態へ戻る

人間と言いますか、現代人は社会というものを構築してその中で経済循環を行い生き延びている状態でありますが、その状態にどっぷり浸かってしまったが故に社会の中で生き延びることのみフォーカスしてしまい、地球の中で生き延びる、宇宙の中で生き延びるという前提を忘れてしまいました。

今の現代人が存続させている社会というのは、地球や宇宙というものをあまり考慮していませんので中身をよく見ると基本的に記憶の蓄積を具現化したものだらけと見ることができます。別の言い方をしますと、全然新しくないわけです。記憶と別の記憶を組み合わせて作ったものばかりが溢れていて結局、記憶なんです。人工知能AIやメタバースの世界もそうで、それは革新的なテクノロジーとは言えないと思います。要は人間が何かをやると疲れるししんどいしメンドクサイしコストかかるから自動化しましょうやという考えと今の人間が何か活動をすると地球環境破壊して地球が持たなくなるからメタバースの中の仮想世界に入り込んでそこで好き放題やりましょうや、という感じに見えてしまうのですが、こういう風に見ると全然、革新的なものに見えないと感じるのではないでしょうか。それは自分たちを肉体的にも精神的にも単に退化させていくテクノロジーに過ぎなく、そして二度と元の地球や宇宙と繋がっている状態に戻れなくなる可能性を孕んでいるものだと見ることが出来ます。

たぶんこの行き着く先は全ての可能性を含む無の境地ではなく、本当に全く何も無い虚無の境地であると思っています。

記憶の蓄積だけで生きていくといずれこの虚無の世界に突っ込んでいきそうです。記憶とは、基本的に他人から教わったことをベースに行ってきた行動の結果ですが、一度、この他人から教わったことをゼロベースに戻すことが大事だと思われます。肉体は赤ん坊の頃には戻れませんが、この赤ん坊の頃に純粋に備わっていた状態に戻して、その状態を使って何かをクリエイト(創造)することが人として大事と言いますか宇宙の本質である、宇宙の本質に適うと思うのですが。

言葉にすると非常に簡単ですが、他人から教わったことを剥がしていくのは結構、骨が折れることです。それも膨大な量がありますので。でも、これをやるかやらないかで進化か退化か?という分かれ道があったときにどちらの道に進むのか明確に異なっていくものです。

今、人類集合意識は明らかにメタバースという危ない世界に入ろうとしていますよね?だから、本当にそれでいいのか?と個人個人が考えて感じて行動していく必要がある時期となっています。

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クリスタル・フラーレン

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