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「一人で解決できるほど、ひと一人の力は大きくない」。島では、子どもの頃から言語化しなくとも叩き込んでくれた。


昨日は、凹天本の真髄の部分でもある(と、勝手に思っている)年表の部分を仕上げていた。

実は、これがすごく勉強になる。
何故かと言うと、本土の人と、宮古の人と、沖縄の人と、1972年の捉え方がちがうからだ。

沖縄は復帰したのか?それとも返還されたのか?

そもそも、沖縄は独立していたのか?

たかだか1972年の一行を考えるだけでも、私たちは悩むのだ。

どのスタンスで、どのようなものの見方で、どのように言葉にしていくか?
勉強というか、ずっと考えて、情報を集め、いろんなひとにいろんな意見をききながら仕上げていくしかない。

世代、出身地、スタンスによってもちがうだろうし。それを信頼できる本土の人と腹をわって話すことの大事さは、得難い。そして「そんなこと気にすることないよ」と言われたいわけではないので、激論になったりするのだけど。

そして、なぜこのようなことを書かなければいけないのか、と自問自答する。
一見、政治的に思えることを口に出して、意見を表明することのめんどくささは勿論ある。
何度か表で書かないように忠告されたけれど、そんなことでつきあいがなくなるようなら、それはもうしょうがない。
相手にだって、選ぶ権利はあるのだし。

一言で言うと、私はチクチクするのが嫌なのだ。

あなたはどんなスタンスでものを考えているの?
ライターなの?研究者なの?表現者なの?ジャーナリストなの?バーの店主なの?母親なの?誰の娘なの?誰の友人なの?沖縄人なの?宮古人なの?日本人なの?

その波をかいくぐって、私は毎度、適切な言葉を選ばなければいけない。
とりあえず、ということも出来るけれど、そればっかりしてたから、こんなに自分のなかに澱が溜まってしまった。
うやむやにはできないのだ。もう、これは持って生まれた性格なのでしょうがない。

私は、誰かの何かではない。
そして、だれかの何かでもある。
でも、それは、みんなだってそうだ、と思う。

閑話休題。

昨夜、若い友人が「いろんな顔を使い分けている」と話した。
そうか・・・めんどくさいよね、と言った。
「自分を生かすだけで精一杯です」と言っていた。

私のまわりの20代30代の人たちが、私が思う「当たり前にわがまま」に生きているわけではない。

みんな、一生懸命、社会にすり合わせながら生きている。
その努力たるや、私の想像の域を超えている。

心の支えをいつも必要としている。だから、他人に承認されるために、社会から追放されないために「いろんな顔を使い分けている」ことになるのかもしれない。

本当は、自分で自分を支えるしかなく、そのうえで誰かのことができるのに。そして、自分を支えられない時は、素直に誰かに頼っていい。

でも、彼らは、ずっといい子できたから、簡単にはできない。近しさ、親しさのボリュームコントロールがとても下手なように思う。きっと、その時間、礼儀を守り、勉強していたんだろう。

そんなこと過度に必要ないと思っていた私とは、生きている尺度が違う。とても謙虚なのだと思う。

でも、その蟻地獄みたいな辛さは、この時代特有のものなのだろうか。
最初からお腹いっぱいで、教育も受けられて、すべてが揃っていて、夢ばかり見させられて、それでこんなに虚しいなんて。

お金で変えないものもたくさんあるし、お金でどうにかなることもたくさんあると、私は思っている。

離島出身のないないづくしの私からみたら、持って生まれた環境や機会がある都会の人たちは「うらやましい」の一言につきるけれど、人の活力や生きる力を、削ぎ落としているのかもしれない。


うらやましいけど、自分がその立場に立ったこともないので、なれないし、今のところなりたいとは思えない。

頭も良くて、性格も良くて、でも、そうやって、社会に対してキュウキュウに暮らしているのか。心の安らぎはどこにあるんだろう。

彼らの一番欲しいものはなんだろう。かたちだけのお返しや、人付き合いじゃないはずだ。

かたちにこだわらない、もっと人間的な温かさにふれることなのかもしれない。

これは、別に若い人だけの問題でもないように思う。だから、場所を持つことの大事さがあって、それは、こどもたちの未来につながるように思うのだ。人との関係を育てるのにトライアンドエラーができる、時間をかけてもいい場所があるってことにしておく。

振り返って考えてみる。

私は、今のところ、おおむね幸せだ。
ずっとお金はないし、仕事も不安定だ。将来は考えないことにしている、笑。
でも、まぁ、とりあえず、今のところ生きていける。いつも助けてくれる人たち、励ましてくれる人たちがいるからだ。

最近は、お店によく食べ物やお下がりをもってきてもらったりして、ほとんどお地蔵さんみたいになっている。いつも皆さまありがとう。多分、都会では稀有だ。でも、それは、島ではよくあることのような気がする。所有の概念がちがうのだとも思うけれど。

私は、彼らにどのようなお返しができるだろうか、といつも考える。

とりあえず、何も考えない私の世代は(いや、私だけかも)、子どもも産めたし、育てられた。もう、ほんと無理!と何度も暴れていますが。

パートナーシップは、若い頃の男女関係とはまた違うので、いろんな意味で駄目なら駄目でいいと思う。昔は、そんなことでいつも死にそうにもなったけど、歳を取ってよかったことのひとつかもしれない。もう、心におさめておける。

そして、若い頃は、カップルとか夫婦とかは理想のかたちがあると思っていた。それは、家族も同じ。でも、そうでなかったな、と今は思う。

かたちにこだわらずに、自分にとって、一番大事なことだけでいい。家庭不和や娘の成績なんて、長い人生から見たらたいしたことない。私はまだまだ生きていくんだから。そして、彼らもその先に人生があるんだから。過干渉にならず、とりあえず見守ること最優先でいいと思っている。

誰もが、できるだけ好きなことをして、できるだけ好きなように生きる。
そのうえで、はたかたから問題やトラブルに見えるものはつきものだと思う。

「一人で解決できるほど、ひと一人の力は大きくない」。島では、子どもの頃から言語化しなくとも叩き込んでくれた。

でも、それでもなんとか生きていける、という気持ちの強さがあるだけで、私はもう幸せなのではないかと思う。

話がもとに戻りますが、そういうことも考えたうえで「復帰なのか返還なのか、はたまた違う言葉なのか」は、実は私にとって大きな問題でもあるのだ。

全然、つながっていないようだけど、私には、大きくつながっているのだと思う。



この記事は、全文無料で読めるようになっております。ですが、尊敬するnoterのひとが「noteという場を維持するためには、お金を発生させることも必要」的なことを書いていて、「そうだ!世の中に無料なものはないよな(今のところ)」と思い、noteというシステムに敬意を表して、どうするべきか迷っています。一度は値付けしたけど、まぁ、めんどくさいから。対面で話す機会があったひとは、いい知恵を教えてください。


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