「あたし、おかあさんだから」かー、そうかー、そうだよなーの巻。

昨日、三女の保育園の発表会だった。学芸会みたいなものか。上の子からだと、通算14回目。あぁ、やっとここまできたか。来年から小学校なので、また続きますが、まぁ、1才児のお遊戯とか、もう見ることはないんだろうなぁ。孫の代まで。

そうなんですよ!
長女から数えると14年間の保育園生活が来月終わる。あーしんどかった。もう何度も死ぬかと思った。

こういう事を、若い人に言ったり、ネット上で書くのは、気が引けたのでできるだけ書かなかったけど、今日は出血大サービスだ。開放感がハンパなくあるので、笑。私のような、自分中心のしょーもない人でも人の親にはなれる。なれるけど、大変つらい。後先考えないとこうなるという、ケーススタディとして、披露しようと思う。

まず計算してみた。子どもは、年に250日くらい保育園には行く。行き帰り✕2回。✕14年間。単純に7000回か。多分、9割以上私だけが行っている。思い返すと、ほとんど一馬力。よくここまでこれた。上の娘たちはかぶるので、苦労を考えると3倍に水増ししたい。こどもは複数だと三倍以上めんどくさい。特に、うちの子は、私に似て、めんどくさい。

うちのシスターズは、毎度ぐずりの女王だったので、つらかった。雨の日も風の日も徒歩。馬鹿話をするための徒歩ではあったが、実のある会話は、ちびっこ相手には10日一回あればいい。まぁ、結構感動するんだけど、笑。

あー長かった。このエネルギーを代替すると、なんだろう。そうだな。世に残るいい仕事が出来たかも。いや、ないな。それに、何も残らなくてもいいしな。

やっぱ、ここでタイトルどおり、あの噂のおかあさんのうた全文掲載しよう。思うところがいっぱいあるけど、じっくり読んでみるのはいい機会だと思います。

はっきりいって、都会の子育てはつらい。でも、楽しいこともいっぱいあった。いろんな人にも出逢えた。

でも、手に余る。地縁がないところで子育てするのは、地図がない探検といっしょです。日々、満身創痍。チビ助でも、もう立派に個人があって、他人なのだ。身2つになってしまったのだ。

そう考えると、日々の瑣末なことで心が折れまくりだった。身も心も限界で、何度、宮古に帰ろうかと思ったか。でも、まわりのひとに助けられたり、私自身がきちんとおばさんになれたので、なんとかここまで来れたように思う。おばさんになるって、鷹揚になることかもしれない。

いやいや、子どもは、ほんとにめんどくさい。相手は生き物だから。暴れても腹には戻せません。

素敵な暮らしとかInstagramできない。たまにするけど、一瞬です。こどものおもちゃや学校の用具でぐじゃぐじゃになる。大人だけの世界って、なんて整っているんだろう。ぐじゃぐじゃ、今も続行中です。

でも、おかげで忍耐がついた。もともと全然忍耐とか我慢とかできなかったので、これはワンオブいいところ。

そして、考えた。忍耐はしても、我慢はしないことにした。それは、まわりまわって無駄だから。過剰な我慢すると、人はやせ我慢になったり、意地悪になったり、見栄っ張りになったりする。そんなもんはいらん。

私のようなヤツは我慢してたら「せっかくお母さんが〇〇やってあげたのに」とか「あなたのために」など言いかねない。そういうことを言いたくなるようなことはしない、と決めた。決めたら、超絶、楽になりました。ここは、あの歌詞とは反対だな。

甘いカレーが嫌なら、鍋を2つに分ければいいし、なぜ子どもと同じテレビ見なきゃあかんのだ。違う人間ですもの、趣味は違う。私がプリキュア見ても毒舌吐くに決まってる。それなら、静かに見せてあげたい。

代わりに、私の趣味のヒストリーチャンネル的なものは押し付けません。

やってあげたいからやる、のだ。返せとは言わない。無理に思い違いのお返しをされても困る。

でも、無駄遣いした時は、私はしつこく返せという。人が時間という命を削って得た金を、無駄に使うのは娘でも許せない。無駄をするなら、自分で稼げ、と思っている。

「オタクの子はしっかりしてる」と言われることは多い。そう育てた。私が育てると嫌でもしっかりするのだと思う。勉強はできないけど、生きていく力だけは無駄にある。元気です。ハムのCMみたいだ。

「もう少し、子どもを大事にしたほうがいい」とも言われることもある。

いや、私たちは仲間で、お互いぶつかりあいながらも、生きる道を模索しているのだ。家族って、仲間なんだと思う。少なくとも、私は早くに父がなくなったので、家族に対して、そういう気持ちが強いのかもしれない。

親は、全面的に頼る対象ではない。しょーもない人間同士が助け合う、最初の人間関係が家族なだけだ。それをひな形にして、人は新しい家族を作るのだ。血は関係無とすら思っている。新しい家族は自分で選んでいるのだから。

なので、こどもたちにとって、私には多分威厳などない。影響はものすごくあるとは思うが。「親に従え」なんて、口が裂けても言えない。言ったとしたら、私は自分を親の立場からクビにしたくらいだ。

「親に従え」を、いい年齢までしていると、自分で考えない、人のせいにする、ちまたによくいる「子ども大人」を再生産することになるように思う。私は、そういう人には「甘えているんじゃないよ・・・めんどくさい」と思っているし、伝えます。

人は人に優しくしたりされたりして、関係が醸成していくものだ。一方的なものは育ちにくい。愛情ありあまって、水をやりすぎて根腐れしたりするみたいなものだ。

もし、一方的なものがあるとしたら、それは崇拝レベルなので、もう生きている人間でなくてもいいくらいだと思う。

子どもたちとの「おなかすいたー」「これたべないー」とか、いうような生活があまりに人間臭くて大人としてはめんどくさい。そして、さらにそれで心を乱される自分がいっそうめんどくさいので、辟易もするが、いや、案外、そう結構、慣れる。今や、世の中のちょっとやそっとの変な人くらいどうでもいいと思える。

人と優しさの接点を探すことはそう難しくない。接点を探して、心が温かくなったときに、過剰に期待しないこと、過剰に頼らないこと、このふたつを心しておけば、大体の関係はうまくいく気がする。親しきなかにも礼儀あり、って名言だわ。

ちなみに、礼儀がないのは、親密な男女間だけ(断言)。それはもう、いろんな人を見ていると、人生の醍醐味と人生をかけた趣味な気がするので、人にとやかく言われることも言うこともないと思います。

先日も、恋愛に呆けた友人の話を聞いて、楽しかったです。めちゃくちゃ大好物。誰か、いつでもこっそり話してください、恋愛呆けの話。一話完結でお願いします、笑。

話がずれた。

もうひとつ、私が子どもを育てるうえで、メリットがあったとすれば、やっと東京に慣れたのかもしれないこと。子どもたちのおかげです。でも、全然、東京にいるにしても我流ですので、見本にはならないけれど。

炎上ネタの「あたし、おかあさんだから」の全文を読むと、まぁ、考えるところもあるけど、いいじゃん、あれがほんとの人もいるんだからとも思う。あの歌に共感する人は、好きでやってるんだから。

もし、あれが好きでやってないんだったら、やめればいい。相手(子ども)は生き物だから、代替策は考えたほうがいいけど。こどももお母さんが勝手に我慢した挙句「あんたのせいで」とそれから何十年も言われるのはたまらんでしょう。

私だって、こどもを産む前は、子どもがそんな苦行だとは思わなかった、笑。宮古のおばさんは、「産めよ増やせよ」主義の人が多いので、若い時は洗脳されていたけど、まぁ、素直に聞いといてよかった。おばさんたちは、きっと肝心なことは、わざと言わなかったんだな、子どもはめんどくさい、って。

いえよーーー!声を大にしていいたい!

まぁ、ひっくるめて、今書けることは「細かいことはどうでもいい」ってこと。自分に責任がある生き物に関しては、やっぱり、真正面から向き合ってもいいんだと思う。

ぶつかるけど、愛しい。

傷つくけど、愛しい。

切ないから、愛しい。

まさに、宮古方言の「かなしゃ」。愛しゃ、だ。

いかなるときも、子どもだけでなく相手に対して理想は高くないけど、関係性においての理想はチョモランマ並に高いです、わたくし。

ちょっと距離を取ることもあるけれど、最終的には、近づく。近づくと決めているし、それは、当たり前すぎて言葉にするまでもない。

いっしょに住んでいる間は「愛をもってすべてにあたれ」と言い続けなければと思う。簡単に通じないと思うけど。そうしたら、見つかるよ。いっしょに地獄に堕ちてもいいと思えるくらいの存在が。それは、人とは限らない。生きる指針や仕事だったりするかもしれない。

その愛が、時には、ねじ曲がったり、波乱を呼んだりもするけれど。でも、何においても愛さないより、愛すほうが、生きるエネルギーが湧くように思う。

それが生命力じゃないかな。それは、恋人や家族だけじゃなく、友人や仕事や芸術やつまんないことでもいい。心を傾ける先がある人生は空虚ではない。

空虚になってしまった、と思っても、必ず次の「ひかり」が見えてくる。そう思える人たちと何度も会ったことがある。懸命に生きるのですよ、それしか教えられない。

また脱線した。

お母さんらしくいるより、自分らしくいるほうが、こどものためになるように思う。まわりのひとのためでもあるし、社会のためでもある気がする。わがままということではない。自分のことには責任をとるってことだ。

私のようなやつは、社会的な役割が変わったとしても、中身はあんまり変わんない、ということを個人的には今更ながら感じています。

それにさ、こどもって大きくなるんだよなー。
保育園も行かなくなる。送り迎え7000回のわたしは、そう思う。あー、正直、ほんと、疲れた。良い思い出だなんて、そうそう美化できない。

でも、ちょっとさびしい。複雑なとこもある。

さて、仕事、頑張ろう。
自分自身の仕事は天井知らずだからなー。さびしくないぞー、多分。

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