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20190115 死ぬ夢を見たこと、SNS、今年の目標、宮古の神様話をグダグダ書く

毎日書こうと思っていながら、日々の雑事、心の動揺のためかなかなか書けない。人は機械じゃないから、まぁいいか。最優先にしたいのは、自分の気持ちだし、次はまわりの人と生きることだから。

寒いせいか、日々、ぐうたら寝ている。仕事もしているけど、今、こうして書いていながらも頭から離れないけど、それでもリラックスして、直観や感覚ができるだけ研ぎ澄まされるように暮らしている方向になってきた。

ぐうたらも悪くない。他人からそう見えるだけなので。頭の中はフル回転している。それも楽しく。

なにか物事が起きれば、それにあわせて動けるくらいの余裕は持っておきたい、といつも思っている。

でも、去年辺りからSNSで気持ちが乱れることもあるな、と思い、ちょっと距離を置いている。本来の性質だと思うけど、相手を性善説で見ることが多く、そこに返答しているうちに疲れてきた。いくらフラットに議論しようと思っても、時折、暇人の自己顕示欲にもつきあってしまう。

昨年、知り合いの人がSNSをゴミ箱と言った。私はとてもまともな人でまともな意見を書く人だと思っていたので驚いた。私と捉え方がちがう。要は、自分の意見など社会では受け入れられないから、自分の世界で愚痴ることがその文章だというのだ。

今度、会ったら詳しく聞きたいけど、それこクリエイティビティの源泉である個性を押しつぶす社会になってきてるってことなのだろうか。私はそうは思わないけど。良い社会になっていると思う。私のような離島出身の女性で学歴も日本的な常識のない人間でも、とりあえず提供できるスキルがあればご飯が食べられる。

そもそも、私は学歴コンプレックスが日本的にあまりないので、学歴があったほうがいいくらいに思っているけれど、くだんの彼もやたら言う。で、彼だけじゃない。結構、聞く。私はそれを聞くたび、どんどん自分にとって学歴そのものがあんまり意味を持たないということが強化されていく気もする。だって、それって過去でしょ。その人の現在や未来の方が私は興味があるからだ。

SNSにおいても、捉え方がまるで違う。SNSは発信。相手の時間もとるので、できるだけ有益な情報も入れたいし、感情のままには書かない。一回、別のフィルターを通す。

単に言葉オタクなので、ずっと書いていろと言われたら、書き続けるし、読んでいろと言われたら、読んでいられる。一番の夢は図書館のとなりに住むこと。あと、喫茶店で長居して、書き続けること。私の思考は、ちょうどキーボードを叩いているくらいが今の所、暴走せずに済む。

今年は、仕事モードで動きたい、という自分の気持が大きくなっていることに気づいた、とも言える。やるべきことは多い。お金がもらえるかどうか、というのもあるけど、物心両面で今の東京を、手持ちの札でどうやって乗り切っていくかというゲームみたいなものかもしれない。

さっき、調べ物をしていたら面白くて、またずずっとフロー状態になった。

このフロー状態になるのは、読んでいるときや書いているときが多い。自分で決めているわけではなく、ただ流されているとも言える。でも、それは悲しくもなく、失意でもなく、自分が自分の今やるべきことにフォーカスしているという意味で、気持ち良いものです。

ま、何が書きたかったかというと、ぐうたら寝ていたら、夢を見た。そこで、死んでいた。天界で、いやだまだ死にたくない!と暴れていた。

なにかに急かされて車に乗るのだかが、Mさんという知り合いの人とM子という宮古の同級生がいっしょだった。近道をしようとして、どんどん坂をのぼっていった。その先で急な下り坂でそこに着地?失敗して、死んだ、というような話だった。

で、これが教訓。

1、人にハンドルをまかせてはいけない。

2、無理すんな

3、死んだら会えない人がいる

めちゃくちゃアタリマエのことだけど、胸に刻んだ。私の潜在意識ありがとう。

ちなみに、夢占いはこうでした。

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運は悪くなさそう。っていうか、運が悪いな、と思うことは少ないけど。いつもみなさんありがとう。返せなくて悪いね、といつも思っているくらい恵まれている。

ちなみに、宮古の友人が続々ユタっぽくなっている。ユタをしらない皆さんは一度ググってほしい。第7感のある人たちって言えばいいのか。魂のままっていうのか。彼らの言っていることは、ほんとに人間臭くもあり、ビジョンがすごくて、地べたで生活している普通の人間には理解しにくいと思う。

だからといって、別に、すごく高潔な人間でもなく、普通の宮古のおばさん。そうだ、子どものときにいっぱい周りにいたよな、と思い出した。サーダカなのは生まれつき。サーは多分、神にまつわる性質。ダカは、高いってこと。アンテナ持ってるんだと思う。

久しぶりに連絡をとったら、いろいろ言い当てられて、まいった。宮古の神様、ありがとう。っていうか、あの不思議な能力すごいよな、と思う。神がかっている。というか、ミクロコスモスのなかでは、みんな神様みたいなもんだけどな。

風通しが悪い、という言葉の次の日に、娘が店のドアのガラスを蹴破り、すごく笑えた。隙間風、最高です。また何か考えるきっかけになった。

私も、宮古のおばさん的には、普通にサーダカで、書いていることは、口述筆記みたいなもんだと思っている。自分で書いているようで、自分で書いていないというか。

で、神様はそんなにえらくない。神様はかなり身近だ。それは自然そのものだから。

別に森や木や海やという自然だけじゃなくて、人もそのなかにいて、その大きな歯車みたいなもの全体と自分の小さな歯車も大きさが違うけど、同じように大切、っていうくらいの「神様」という言葉なんだけどな。

まぁ、色即是空 空即是色とかに近いかも。日本だと、神様話はスピリチュアルみたいな感じに取られるかもしれないけど、私にとってはかなりアニミズム的。それこそ風土が違うけど、同じ言葉を使っているだけ。そこで、誤解が生まれるんだけど。

ここらへんは、新しい言葉というか宮古の「神(カン)」という概念で説明したほうがいいかもしれないなどとも思います。でも、それは宮古の世界観を説明することでもあり、言葉では限界があるかもな、とも思うのです。

まぁいいや、新年早々、不思議な時間を過ごしております。いや、もう新年でもないけど。


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