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ガッカリから学ぶことってあると思うぞ。 〜沖縄は離婚トップクラス。教員採用試験は全国で二番目の難関。〜

沖縄は離婚率が高い。ましてや、宮古島はそのなかでも結構な婚姻率と離婚率で名高いです。市町村を同じような計算式で分析するのもどうかと思うのですが、まぁ、県としての全体はこんな感じです。すごいな、しかし、笑。

さて、私は、ハフィントンポストは好きなので、時折まとめて読んでいる。

今日もぼんやり読んでいたが沖縄の「こういう切り取られ方」って何か違和感を感じると思って書き始めている。良い意味の違和感でなく、メディアが当たり前に取り上げる沖縄の偶像というか、もろもろ。

私が、沖縄の人は発信したほうがいいよ、と思う理由はこういう時に強くなる。日本のメディアにのることじゃなくて、自分たちのメディアを持つってことです。

そして、沖縄県は、文化圏を琉球弧として考えると、東京鹿児島間くらいあるんだから、各島々の人がいろんな事を表現すると、この十把一からげの沖縄観はなくなるのかな、とか思いつつ。

だって、めんどくさいじゃん。思い込みでよってたかられると。それにいわゆる県のメディアもあるけれど、そういう組織的なことじゃなくて、群発するような。そんなイメージ。

さて、本題。このモヤる記事です。

この文章に最初に出てきた新垣さんという女性は、いわゆる戦争孤児にも似た境遇で、たしかに沖縄本島には結構多いかもしれないです。

新垣千恵さんは、2人の娘を育てたシングルマザー。過去、新垣さんの母親もシングルマザーだった。新垣さんの父親はアメリカの軍人だったが、新垣さんがお腹にいる頃にベトナム戦争で亡くなったという。

ベトナム戦争で亡くなったと書いているので、1955年~1975年頃と考えれば、幅はあるけど、私はこの新垣さんと同世代くらいなんだろうと思う。

私自身は宮古島の出身なので、身近にこういう人がいた記憶はないです。ただ、米軍の人と結婚するのはよくいるし、親戚や同級生の旦那さんが外国人というのも多く、国際結婚が飛び抜けて目立つわけではなかったです。

ただ、沖縄本島の人と話していて、普通とは言わないまでも、このようないわゆるハーフの子がいたのはわかる。ちなみに、私が聞いた時はあまりポジティブではなかったように思う。

今、思えば、羽賀研二が沖縄で子供の頃いじめられた話をインタビューで語っていたのを思い出す。私より上の人達には、大変な時代でもあったんだろうなと思います。

沖縄が好景気にわいたのは、やはりベトナム戦争というファクターがあったとも言えるだろうし、宵越しの金は持たない、というか、これから先、どんな任務が待ち受けているか考えたら、外国にいたとしても(ここでは沖縄)恋愛したりするのは、ある種の救いだったかもしれない。

私自身は1970年代中盤くらいから、祖父母のいるコザ市(現在の沖縄市)には1年に1度くらい、長期間で行っていた。1974年にコザ市から沖縄市に変わっているので、私はちょうどその変わり目にいたような気がする。祖父母の家から海洋博に行ったのを覚えている。

同じ沖縄県内でも、意外と他の市町村のことは知らない。知ったとしても、これだけ言葉が違うと、理解しているようで理解していないとも思うので「わかった」とは簡単に言えない。実は、標準語が互いの理解に必要なんて、他の地域の人から見たら、わけわからないだろうと思う。

正直、私は、沖縄市に行って、毎回、周りの人が何を言っているかすら理解できなかった。簡単な売り買いや挨拶はできても、それ以上もそれ以下もなかった。

祖父母の家の近くの亀甲墓で遊んだ、地元の子どもたちがいたけれど、言葉で遊んだ覚えはない。走り回っただけでした。

そして、今も沖縄市出身の友人とは、標準語で話す。

新垣さんは「お母さんが一生懸命に働いていたのを見ている。いざとなったら自分も働けばいいって思っていた」と話し、自身の離婚へのハードルが低かったことを告白した。

日本では、離婚がバツとか言われるので、多分、あんまり良い表現ではないんだろうなぁとも思う。ですが、沖縄の人だって、別に離婚したくてするわけじゃなし、うまくいくのならうまくいかせたいと思っていると思います。

人との別れは、どんな場面でも、多少の痛みはあるわけだし。超個別的だと思うので、簡単にまとめられると、私の違和感が発動する。

「彼女が自分が働けばいい」って言っていますが、沖縄では離婚しても働いていない人も結構いるし、まぁ、正直、本当にそうだと思う。ハッピーでない状況に対しての耐性は低いのかも。

しかし、この書き手の人や、番組の作り方の姿勢に、読むターゲット層もそうだよね、という雰囲気に、私は「むむむ」と思うわけです。ということは、やっぱり日本って、女性は結婚したら安泰で、働かないのがステイタスってデフォルトっていうことなんだろうか。

既婚女性の三人に二人が共働きの昨今ですが、結局は男性が主たる働き手であることに変わりはないんだろうな。社会の様相も、まだパートナーシップとかそういうところにはいっていないのかもしれない。まだ、家父長制が根をおろしている。最近は、山口君やらmetooやら、今日はどっかの市長のセクハラの報道もすごかったなぁ。

そんな社会だから、パートナーが苦しいと思うことは、一緒に解決していこうとか、そんな時間も智恵も使うことをあえてやらないのかもしれない。

沖縄では、そういう人は、パートナーとして難しいとか、互いにハッピーでないという決断を早くするから、女性が主導で離婚が多い。しかし、決断を迫られてと言う人のほうが、私のまわりは多い気がする。そんな悠長な感じではないです。

また、現在妊娠中で3人の子供を育てている島袋紗千さんは、1人目の子供を未婚で産んだ。さらに2人目、3人目の子供の父親とは、DVが原因で離婚。現在妊娠している4人目の子供の父親と再婚した。

未婚の母も、親しい人には何人かいる。私は彼女たちはすごいと思う。日本の友だちに「なぜ堕ろさなかったの?」と聞かれることもあるけど、私は単純に「なんで堕ろすの?」と聞いたりする。

「だって大変じゃん」と答える人が多いけど、そりゃそうだけど、そんなに大変なのかとも思う。多分、沖縄ほど理解者が多くないかもしれない。

でも、それが日本の少子化につながっているんじゃないかなとも思う。大変なことはやらない、コントロールできる幸せを大事にする。それもそうだな、と思うのだけど、私にはやっぱり何か不思議な感じがする。

堕ろすという決断をまわりのひとが勧めることって、沖縄じゃよっぽどじゃないとない気がする。本人がどうしようもない場合とか。

子どもがすべてじゃないけれど、好きな人の相手(既婚者とかね)だった場合、割り切りにくいとも思うしなー。

まぁ、この島袋さんなんて、トライアンドエラー過ぎる。でも、沖縄には、こういう日本的には問題ありそうな人と再婚する男の人がいるってことでもある。

彼女には、幸せになってほしいものです。そういう意味では、沖縄はやっぱりアメリカ化しているのだろうか。

意外と日本人が確立していない個人主義みたいなのを、彼女たちは最先端でこなしている。彼女の子どもたちもいっしょに。

そんな島袋さんの母親も、島袋さんが小学校2年生のときに離婚し、小学5年生のときに再婚。島袋さんの母親はその相手とも離婚をしている。島袋さんは「母に離婚の相談をしたら、逆に『DV男なら別れなさい』って感じだった」と話した。

離婚を相談したから、別れなさいと言われたんじゃなくて、ハッピーじゃないなら別れなさいってことだと思うよ。

ここに、作り手側の型にはまった結婚観を感じるのは私だけだろうか。

離婚へ踏み切りやすいのは「共働きが多い環境」が理由にあるという。新垣さんは「沖縄では共働きが多くて専業主婦のほうが少ない」と説明。沖縄の最低賃金は日本でもっとも低く、アルバイトをしても時給700~800円程度。男性の給料も少なく、生活ができないため、「結婚しているかどうかに関らず、働かざるを得ない環境」だと話す。

ここが難しいところだ。共働きだからではないような気がする。まぁ、細かい中身が違うかもしれないけれど、今や、30~40代の専業主婦ってすごく少ないと思う。正社員にせよ、パートにせよ、子どもがいても働いている人なんてごまんといる。男女参画関係の政府資料では、七割くらいが働いていたと思う。

そして、独身女性や専業主婦持ちの男性に肩身の狭い思いをしている、って話はよく聞く。働きにくそう。

そして、沖縄と東京の違いを如実に表しているなと思ったのが、この調査。

自分に合う仕事とか、子どもと過ごす時間とか、習い事とか、料理や掃除をきちんとしたいとか、そういう順番で、働いていない理由が出てくる。沖縄の女性が見たら、自分とちがって余裕があるなぁと思うんじゃないかな。

仕事の合わなさ、子どもとの時間のとれなさ、沖縄の女の人もおんなじ風に思っているとは思います・・・。でも、働かないという選択肢がない。なぜなら、男女ともに賃金も低く、労働環境も変化が多いから。

移住者の人が島の仕事をブラック!って怒る気持ちもわからないではない。でも、ずっと昔からそうだったし、日本の社会の問題のしわ寄せがあると思わないのかなと思う。

罪悪感を感じろと言うわけではなく、そういう仕組みがあった時代のうえに、沖縄はあったというだけなのです。

沖縄の労働環境がブラックなんじゃなくて、社会全体が日本とくらべて、ブラックなんですよ。最近、変わってきたとは思うけど、メンタリティが抜けるのは難しいです。

なので、沖縄の経営者(だいたい男性で良家の年配者)の悪口を友だちに言う暇があったら、ぜひぜひ、そのブラックだと感じる批判的精神を別のところに生かしてほしい。なんなら、彼らを導いてほしいです!

なので、パートナーがDVだったり、モラハラだったりしたら、そりゃ離婚するがな、という当たり前のところに行き着いてしまう。子ども守れないものね。

沖縄で教員、公務員をみんなが目指すのは、安定的に食えるためですから。公務員の子弟が、予備校まで行かせて、公務員にするにはワケがあります。

日本は、他の国々比べたら、人身売買もないし、ある意味平和だし、いいとこなんだけど、少子高齢化がすすんでいる昨今、最後の引用のメンタルで日本の女の人が働いたり結婚したりすると、痛い目にしか合わない気がします。

毎年沖縄では春闘(労働組合が値上げを要求する闘争)をしているが、現状は変わらない。新垣さんは「子供を公務員にさせたい親は多いと思う。自分も娘に教員になるよう勧めた過去もある」と話す。さらに「男には何も求めていない」と続け、男性には金銭面でも、子育てにおいても「はじめから期待していない」と言い切った。男性への"期待値ゼロ"について、トークで盛り上がる中、番組MCのいとうは「そうやって言われると男もがっかりだよ!」と驚きながらツッコミを入れていた。

どういう番組の趣旨かわからないけど「期待値ゼロ」っていうのは、案外男の人には優しい社会じゃないだろうか。勝手に呪縛されていると思い込んだ男の人がイヤイヤ働いて、飯食わしてやってるぜ!っていうより100倍いいと思います。

がっかりされたら、なんでがっかりされたか、話し合うくらいじゃないと、長年つきあっていけませんよ。協力もできないし。子育てなんて無理だと思います。

結婚したから、子どもがいるから、人並みに、いや、もっとそれ以上って考えるとずっと努力が必要じゃないですか。それじゃ、こどもなんていらないっていう世代が増えてもしょうがない。

この家族というチームにとって、何が優先で、お互いが助け合うのにどうフォーメーションを取っていけばいいかと考えれば、相手の悪口を言っている暇などないとも思うんだよな。

そして、悪口言うほどハッピーじゃないなら考え直せばいい。

レールから外れるってことは、別の幸せがあるかもよ、ってことを教えてくれる記事だと思うのだけど、なんだか微妙な記事に仕上がっています。

書いたら、ちょっともモヤモヤが減りました。長文、読んでくださってありがとうございました。

ガッカリしてからも話し合える人間関係以外はもういらねーと思っている宮国でした。

頂いたお金は、宮古島の歴史と文化の活動をするために使いたいと思います。