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麻生田町大橋遺跡 土偶A 162:古代のプチプチ

岡崎市井沢町の薬玉神社(やくだまじんじゃ)前から、さらに県道35号線を西に下ると、540m以内で乙川に架かる橋に到達しました。

岡崎市木下町 〜井沢町 乙川
岡崎市木下町 〜井沢町 乙川

そのガードレールを欄干に流用したネームプレートのない橋は後で「紅葉橋」であることを知りました。
質素な割には橋幅4m、橋長30m近くある橋だが、中央まで徒歩で出て上流側を見下ろすと、左岸側(下記写真右手)から樹木の枝葉が覆いかぶさった美しい渓流になっていた。

岡崎市井沢町 乙川 紅葉橋 上流側

乙川を辿りはじめて、もっとも美しい景観だった。
両岸が人為的な護岸がされていないことが、美しい景観につながっている。

右岸側の橋の真下を見下ろすと、角の取れた巨石が折り重なり、水面下になることの少ない部分の石には苔が生していた。

岡崎市井沢町 乙川 紅葉橋 上流側橋下

一方、下流側を見下ろすと、両岸の樹木は上流側より濃くなっているのだが、すぐ下流で水路が左にカーブしていることから、川床には多数の巨石が堆積しており、美しいとは言えない景観に変化していた。

岡崎市井沢町 乙川 紅葉橋 下流側

橋の真下を見下ろすと、旧紅葉橋の基礎と思われるコンクリートの長いブロックが残されていた。

岡崎市井沢町 乙川 旧紅葉橋基礎

対岸の左岸には鉄工所が存在しており、主にその鉄工所のための橋らしい。
旧紅葉橋は現在よりも橋幅の狭い、さらに質素な橋だったようだ。
左岸側まで渡ると橋の下から橋の上空まで伸びている古木の表面をマメヅタが覆っているのが見られた。

岡崎市井沢町 乙川 紅葉橋袂 古木に着生したマメヅタ

マメヅタは名称こそ“蔦(つた)”だがシダの一種で、樹木だけではなく、岩にも着生する。
シダを採集していた時に、採ってきたことがあるが、広がる植物なので、自宅で継続して栽培するのは無理だった。
日本列島では北海道以外、琉球列島まで見られる植物で、約10種存在するうちの2種(もう1種はオニマメヅタ)が日本列島に存在するという。
海外ではシナの海岸線、台湾、朝鮮半島南部に分布する。
玩具の少なかった時代の山村の子供たちは円形で果肉の厚い葉を採って親指と人差し指で折り曲げると、プチンと心地よく折れるのを楽しんだという。
ビニール製梱包材のプチプチを潰すと癒されるのと同じ楽しみだ。
古代人も同じ楽しみ方をしたのだろうか。

紅葉橋から、さらに35号線を1.1 kmほど下ると、赤くペイントされたオリジナルの鉄製の欄干を持つ桜橋に到達した。
橋幅2.5m、橋長25m以内の紅葉橋よりも小さな橋だ。
このあたりの両岸には左岸にかおれ渓谷、右岸の山頂に日近城跡(ひぢかじょうあと)が存在し、その両岸を結ぶための橋のようだ。
例によって橋の中央まで出て上流側を見下ろすと、乙川の川床幅はこれまで最長の12m近くに広がっており、ここまで見なかった多くの巨石が川床の中央に折り重なり、水路を二分していた。

岡崎市桜形町(さくらがたちょう) 乙川 紅葉橋 上流側

右岸(上記写真左手)にはコンクリートでたたかれた幅3mほどの高水敷が設けられている。

反対側の下流側を見下ろすと、上流側から続いている高水敷が桜橋の下流20m以内で終了していた。

岡崎市桜形町 乙川 紅葉橋 下流側

高水敷がどこから始まっているのか航空写真でチェックすると、桜橋の上流100mあたりから始まっており、左岸に日近の里の観光施設があることから、河原を散策できるようにしてあるのかもしれない。
桜橋も日近の里の観光施設に渡るのだけを目的とした橋のようで、日近の里観光施設以外はどこにも通り抜けできない橋だ。
下流側の川床にはここまで乙川で最大の石が埋まっているのが見られた。

岡崎市桜形町 乙川 紅葉橋下流側 巨石

石の頂点が低いため水流に洗われて、上面全面がかなり磨耗しており、円形の水溜りや湾状の磨耗孔も見られ、つきたてのモチのような表情をしている。

桜橋から40m以内の35線沿いに「日近の里駐車場」という看板が出ていたので、そこに入った。
車は1台しか止まっていなかった。
地図でチェックすると、日近城跡のある山の麓に当たり、日近城跡見学者のための駐車場のようだった。
駐車場が目につかなければ通り過ぎていたところだが、日近城跡に登ってみることにした。
ところどころに設置された指標にしたがって、山を登っていくと、途中から幅40cmほどの山道は急峻になった。
気付くと山道にサッカーボールの縫い目のような割れ目のある直径3cmほどの木ノ実が転がっていたので、切り株の上に集めて撮影した。

岡崎市桜形町 無名の山の山道に落ちていた木ノ実

場所は木陰で、体感しているより暗かったようで、手ブレ補正していたのに、全部のカットがピンボケになっていた。
肝心の木ノ実は図鑑で調べてみたのだが、特定できなかった。

急峻な上り道が終わると、通路はほぼ平坦になり、水平に移動する感じになった。
60mほど尾根を歩くと堀切が現れた。

岡崎市桜形町 日近城 堀切

「堀切」とはWikipediaの説明を要約すると、「主に山城に用いられる繋ぎの部分を、人工的に開削して溝(堀)するもの。空堀の一種。」ということになる。
山城であることが地形でもっとも分かりやすく確認できるのが空堀だ。

(この項続く)

◼️◼️◼️◼️
日近城跡への山登りは距離はたいしたことはなかったのですが、傾斜のきつい部分があり、予想外にきついものでした。神社の奥宮参拝で山に登る時のようなワクワク感が無いことは関係しているのかもしれません。



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